温厚柔和な若旦那さまは、愛のためなら喧嘩上等!
  ❖ ❖ ❖



「……ヨネ、茜はどこだ? 母屋に行って戻ってこないんだが」

 離れの女中部屋に顔を出し、徹は不安げだった。今日は簡単なフランス語を教える約束だったが、本当は嫌がられていたのだろうか。

「まあ坊ちゃま」

 ばあやのヨネはホホ、と笑う。
 実母が存命の頃から長く仕えるヨネの前で、徹は素顔だ。というか幼くなる。茜を好いていると口にしてはいないが、隠してもヨネには伝わっていた。

「茜さんが坊ちゃまのお役に立ちたいのは嘘じゃありませんよ」
「……でも遅いな」

 徹が眉をひそめるのを見てヨネはニコニコした。
 藤ヶ森家に引き取られてから仮面をつけるようになった徹。痛々しく思っていたが、心を寄せる女性があらわれるとは喜ばしい。その茜の方も徹を意識しているようにヨネには見えた。

「あら勝手口が。茜さんですねえ」

 だが戸の音はバタンと荒々しかった。いつもの茜の仕草ではない。不審に思っていたら別人の声がした。

「徹さま! いらっしゃいますか!」

 離れへ駆け込んできたのは梅子だ。廊下に出た徹を見て顔を伏せる。徹は瞬時に猫をかぶった。

「どうしました」
「あの……茜さんが男にからまれているんです」
「何?」
「道端で。すぐ近くです。お知らせしなきゃと」

 梅子が示したのは屋敷の裏口の方だ。徹は無言で動いた。靴を履き玄関を飛び出す。
 見送った梅子はなんとなくバツが悪そう。実は伊都子に命じられて徹を呼び出したのだ。
 だが茜がからまれているのは本当。伊都子が破落戸(ごろつき)二人に頼んだらしい。「助けに入る男共々、傷物にして」と金をはずんだとか。

(……私、嘘はついておりませんからね!)

 言い訳しながら梅子は母屋に退散した。


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