温厚柔和な若旦那さまは、愛のためなら喧嘩上等!
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 ひっそり生きて来た茜だが、基本的な行儀作法なら身についている。習字、三味線、華道などもひと通り母に仕込まれた。芸者だった母は話術もたくみだ。
 だが娘の茜は情けないことに、たくさんの人に挨拶しただけで疲れ果ててしまった。これまで人と対面する機会が少なかったせいだろうか。

「――あらまあ。上手なことのひとつも言えないようでは、良いところへ嫁ぐなんて難しいのではなくて?」

 通りいっぺんの挨拶だけして黙ってしまった茜のことを値踏みするように見たのは、藤ヶ森家の娘、伊都子(いとこ)だった。
 この伊都子は本妻の産んだ子だ。藤ヶ森家が営む呉服屋、藤之屋は江戸時代から続く呉服の大店(おおだな)。そこのお嬢さまとあって蝶よ花よと育った伊都子は良い着物をまとっている。
 艶やかな絹の長い袖をヒラヒラとさせ、伊都子は口に手を添えて笑った。

「ふうん。あなたは茅原さまのお宅の――でもおかしいわねえ、銀行家の茅原さまのお嬢さまなら、わたくし女学校で存じておりましたけど。あの方は今年お嫁にいらっしゃったと聞いたような。お姉さまなのかしら。ご結婚おめでたいことでしたわね」
「……お気づかい恐れ入ります」

 茜は頬がこわばるのをこらえて頭を下げた。
 そうか、本家の娘はどこぞに嫁いで――そのせいで父は、もう一枚茜という手札があるのを思い出したのだろう。

「あなたは女学校に行っていないのねえ? そういう扱いの身の上ということ? まあせいぜい、うちで頑張ることだわ」

 ほほほ、と楽しそうにして伊都子は手をシッシと振る。下がりなさいということだ。茜はそっと顔を伏せたまま部屋を出た。

「――茜さん」

 やや冷たい梅子の声がする。視線を上げると、眉を寄せた梅子は疑うような目をしていた。

「茅原さまのお嬢さんだと名乗っておいて――脇の腹か何かなの? なんだ、じゃあ私の方がよほど上じゃない。損したわ」

 いきなりぞんざいな態度になって、梅子は行ってしまう。
 たぶん梅子は、茅原の縁につながる機会を求めて茜に親切にしてくれていたのだ。茜には取り入る価値がないとわかり、離れただけ。

「梅子さん……」

 友人になれるかと思った相手の冷たい本心に、茜の胸はつぶれそうだった。

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