温厚柔和な若旦那さまは、愛のためなら喧嘩上等!
「いい子ちゃんで優しくてフラフラ社交的なお坊ちゃんだから、俺はこの家でチヤホヤしてもらえるんだ」

 徹の実母は亡くなっている。そのため十歳の時、この本邸に引き取られた。
 本妻にうとまれる徹の立場。藤ヶ森の家で生きるには、愛想がよく従順で父の役に立つ少年になるしかなかった。
 そして何より重要なのは、本妻の長男の地位を脅かさないこと。
 父の跡継ぎなど狙っていないと行動で示すのが肝要――遊び人という仮面は、この家で暮らす徹の生存戦略だ。

「あの茜って子さあ、徹が引き取ったらどうだ」
「はん?」

 太一郎がいきなり言って、徹は眉根を寄せた。

「どういうことだ」
「あの子、母屋でいじめられてるんじゃないか? さっき外で掃除してたんで声を掛けたんだが」

 それは徹も気づいていた。
 茜はこの数日ウロウロと所在なげにしている。初対面の日から何かと鈍くさくて、気になる女ではあった。

「離れに人はいらん。ヨネがいてくれる」
「ばあやは大事だけどさ、あれは茅原の娘だろ」
「――待て。嫁にしろってことか?」
「ああ。つながれば融資を受けやすい。おまえ、そろそろ仕掛けるつもりなんだろ?」

 徹は片眉を上げる。それは彼が独自に計画する事業のことだった。

 藤ヶ森は呉服商。昔ながらの座売りでお得意さまへ着物を売っている。
 だが最近は百貨店なるものが現れた。同じく呉服商を営む大店が、陳列販売を始めたのだ。しかもその業態に次々と参入が始まっている。

 時代は変わっていく。これからは伝統と格式だけではやっていけないと徹は考えた。なのに藤之屋は動きが鈍い。
 父の経営に愛想を尽かした徹は、独立するつもりで準備を続けていた。

「嫁の実家なんか、当てにしてない」
「まあおまえの計画ならいけると踏んでるが」
「いや、太一郎の力も込みでの事業だからな。小白波運輸の経営はどうだ」
「順風だよ。なんといっても日本はロシアを破った極東の神秘の島国だ。ヨーロッパともアメリカとも取引は増えていくと思う。今は政治も安定してるし、勝負時だと思う」

 ニヤリと笑い合う。
 彼らは学友であり、ヨーロッパへの洋行仲間でもあった。
 つるんで遊んでいた時に盛り場で巻き込まれた喧嘩。つい鮮やかに相手を伸してしまった徹に太一郎が仰天し――それが素顔での付き合いのきっかけだ。

 服飾繊維業に詳しい徹。
 船舶運輸業界に身を置く太一郎。
 双方のメリットになる仕事を作り出すべく、この二人は知恵を絞っているところだった。

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