藤木部長にロックオン〜あの子のハートビームから逃げられない〜
「よろしければコーヒーをどうぞ」
「ありがとう」
ローテーブルを挟んで向かい合い、とにかく気持ちを落ち着けようと俺はコーヒーをひと口飲む。
しばしの沈黙のあと、片瀬くるみが思い切ったように顔を上げた。
「部長のお話では、私は以前知らない間に『はると』って呼んでいたんですよね?」
「ああ。飲み会の帰りにタクシーの中で」
「そうでしたか。私は確かにその頃、その人に想いを寄せていました。その『はると』というのは、葛原さんのことでも、部長のことでもありません。実はこの人なんです」
そう言うと、何を思ったのかクローゼットを開ける。
(えっ、待て! クローゼットに人を住まわせているのか?)
俺が衝撃に備えて身構えた時、片瀬くるみは何かを手に持って俺を振り返った。
「私がずっと想いを寄せていたのは、この温人です」
「は? え? どのはると?」
「漫画の中の登場人物です。ほら、この人」
「漫画の!?」
俺はまじまじと、片瀬くるみが手にしている漫画に目をやった。
表紙には、イケメン男子がボブヘアの女の子を、後ろから抱きすくめているイラスト。
(これが、はると?)
まさかの展開に、俺はしばらく呆然とした。
「すみません、こんな子どもっぽい理由で散々部長を振り回してしまって。私、中2の時からずっとこの漫画が心の支えだったんです」
「そう、だったの、か……」
「はい。現実離れしたかっこよさや、ドラマチックな展開にドキドキして、勉強や就職にも大きな影響を受けました。彼のおかげで自分にとってはプラスの経験ができたと思っていましたが、気づけば誰ともおつき合いしないまま25になってしまって……。唯一このことを知っている千夏には、いい加減にしなさいと呆れられてましたし、実際に藤木部長にはご迷惑をおかけしてしまいました」
「いや、それはいいけど……」
俺はようやく落ち着きを取り戻す。
「じゃあ葛原くんの告白を断ったのも、この漫画の彼が理由?」
「それが、そうでもないみたいで……」
ん?と俺は首をひねった。
「そうでもないって、どういう意味だ?」
「あの、実は……。部長のマンションでお世話になっていた1週間、全く漫画のことを思い出さなかったんです。これまで10年以上、毎日目にしていたのに」
「それは、どうして?」
すると片瀬くるみは、チラリと視線を上げて俺を見てから、すぐにまたうつむく。
「わからないんですけど、どうやら藤木部長と一緒にいる間に、心境の変化があったみたいで。でも本当に、自分の気持ちがよくわからないんです。そしたら千夏に言われて……。素直に湧き出て来る自分の気持ちを否定しないことって。好きか嫌いか、白黒ハッキリしなくてもいい。無理に言葉にしなくていいけど、心にフタをしちゃだめだって。だから私、今日一日、自分の気持ちのままに過ごしてみたんです。葛原さんの告白を断ったのも、部長と一緒に文具フェスタを回りたいと思ったのも、全部私がそうしたいと思ったから」
俺は思わず目を見開いた。
今聞いたばかりの言葉を頭の中で繰り返す。
(俺といる間に、心境の変化が? 今日、葛原くんの告白を断って、俺と一緒にいたいと思ってくれたのか?)
胸が急にドキドキと高鳴り、嬉しさが込み上げてきた。
「この気持ちになんて名前をつければいいのかは、まだわかりません。だけど私、これからもずっと藤木部長と一緒にいたいと思っています。二人で時間を過ごして、色んなことを一緒に楽しんで……。これからの私の日々に、藤木部長がそばにいてくれたらなって、今はただそう思っています」
その言葉に、自分の中に押し殺してきた想いが溢れ出した。
「俺も同じ気持ちだ。1週間君が俺の部屋にいて、この時間がずっと続けばいいと思っていた。君の心は別の人にあると、何度も自分に言い聞かせて諦めようとした。だけど俺も、心にフタをせず、ただ素直に気持ちを伝えたい。これからもずっと、俺と一緒にいてくれ」
片瀬くるみの目がみるみるうちに涙で潤み、苦しそうにキュッと眉根を寄せる。
「どうした?」
俺はそっと右手を伸ばし、その頬に触れる。
「だって、胸がきゅう……って締めつけられて。漫画の中だったらこんなことなかった。嬉しくて幸せなのに、どうしてこんなに切ないの?」
「それは、心が震えるからだ」
「心が、震える?」
「そう。1番大切な人と想いが通じ合ったから」
「1番大切な人と……。それって、好きな人ってこと?」
ポロポロと大粒の涙を溢れさせるその瞳に、俺は優しく「そうだよ」と微笑んだ。
「好きって、こんなに胸が痛くなるものなの? どうしてこんなに涙が出てくるの? 私、ギュッて抱きしめてほしくてたまらない」
「俺もだ。君が愛おしくてたまらない」
そばに行き、両腕で抱きしめると、耳元でささやいた。
「俺は君が好きだ、くるみ」
腕の中のくるみが、ハッと息を呑む。
「あの、私……これまで色んな人に好きだと言われたけど、こんな気持ちになったことなかった」
「……ちょっと、この状況で武勇伝語ってる?」
「違うの。好きな人に好きって言われたら、もう全身がしびれちゃうくらいキュンとして、雲の上に舞い上がったみたいに幸せでふわふわするのね。こんな気持ち、知らなかった」
「じゃあこれがくるみの初めてだな」
「うん。私、初めて誰かをこんなにも好きになったの」
俺は少し身体を離して、くるみの顔を覗き込む。
「教えて。くるみは誰を好きになったの?」
くるみはちょっと拗ねたように、上目遣いで俺を見上げた。
「……遥斗さん」
「それって、漫画の中の?」
「違うもん」
そう言ってくるみは両手で俺にギュッと抱きつく。
「私、あなたが大好き」
可愛くささやかれ、俺の胸にも幸せが込み上げてきた。
じわりと胸が温かくなり、切なさで締めつけられる。
こんな気持ちは、初めてだ。
「俺も、これほど誰かを好きになったことはない」
「そうなの?」
「ああ。これから二人で本当の恋愛を始めよう、くるみ」
くるみは嬉しそうに、うん!と頷く。
「言葉にできないほど、君が愛おしい」
俺はくるみの頬に手を添えて、ゆっくりと顔を寄せた。
恥ずかしそうに視線を落としたくるみを、ほんの少し上向かせる。
そっと目を閉じたくるみに、俺は心を重ねるように、甘く優しく口づけた。
「ありがとう」
ローテーブルを挟んで向かい合い、とにかく気持ちを落ち着けようと俺はコーヒーをひと口飲む。
しばしの沈黙のあと、片瀬くるみが思い切ったように顔を上げた。
「部長のお話では、私は以前知らない間に『はると』って呼んでいたんですよね?」
「ああ。飲み会の帰りにタクシーの中で」
「そうでしたか。私は確かにその頃、その人に想いを寄せていました。その『はると』というのは、葛原さんのことでも、部長のことでもありません。実はこの人なんです」
そう言うと、何を思ったのかクローゼットを開ける。
(えっ、待て! クローゼットに人を住まわせているのか?)
俺が衝撃に備えて身構えた時、片瀬くるみは何かを手に持って俺を振り返った。
「私がずっと想いを寄せていたのは、この温人です」
「は? え? どのはると?」
「漫画の中の登場人物です。ほら、この人」
「漫画の!?」
俺はまじまじと、片瀬くるみが手にしている漫画に目をやった。
表紙には、イケメン男子がボブヘアの女の子を、後ろから抱きすくめているイラスト。
(これが、はると?)
まさかの展開に、俺はしばらく呆然とした。
「すみません、こんな子どもっぽい理由で散々部長を振り回してしまって。私、中2の時からずっとこの漫画が心の支えだったんです」
「そう、だったの、か……」
「はい。現実離れしたかっこよさや、ドラマチックな展開にドキドキして、勉強や就職にも大きな影響を受けました。彼のおかげで自分にとってはプラスの経験ができたと思っていましたが、気づけば誰ともおつき合いしないまま25になってしまって……。唯一このことを知っている千夏には、いい加減にしなさいと呆れられてましたし、実際に藤木部長にはご迷惑をおかけしてしまいました」
「いや、それはいいけど……」
俺はようやく落ち着きを取り戻す。
「じゃあ葛原くんの告白を断ったのも、この漫画の彼が理由?」
「それが、そうでもないみたいで……」
ん?と俺は首をひねった。
「そうでもないって、どういう意味だ?」
「あの、実は……。部長のマンションでお世話になっていた1週間、全く漫画のことを思い出さなかったんです。これまで10年以上、毎日目にしていたのに」
「それは、どうして?」
すると片瀬くるみは、チラリと視線を上げて俺を見てから、すぐにまたうつむく。
「わからないんですけど、どうやら藤木部長と一緒にいる間に、心境の変化があったみたいで。でも本当に、自分の気持ちがよくわからないんです。そしたら千夏に言われて……。素直に湧き出て来る自分の気持ちを否定しないことって。好きか嫌いか、白黒ハッキリしなくてもいい。無理に言葉にしなくていいけど、心にフタをしちゃだめだって。だから私、今日一日、自分の気持ちのままに過ごしてみたんです。葛原さんの告白を断ったのも、部長と一緒に文具フェスタを回りたいと思ったのも、全部私がそうしたいと思ったから」
俺は思わず目を見開いた。
今聞いたばかりの言葉を頭の中で繰り返す。
(俺といる間に、心境の変化が? 今日、葛原くんの告白を断って、俺と一緒にいたいと思ってくれたのか?)
胸が急にドキドキと高鳴り、嬉しさが込み上げてきた。
「この気持ちになんて名前をつければいいのかは、まだわかりません。だけど私、これからもずっと藤木部長と一緒にいたいと思っています。二人で時間を過ごして、色んなことを一緒に楽しんで……。これからの私の日々に、藤木部長がそばにいてくれたらなって、今はただそう思っています」
その言葉に、自分の中に押し殺してきた想いが溢れ出した。
「俺も同じ気持ちだ。1週間君が俺の部屋にいて、この時間がずっと続けばいいと思っていた。君の心は別の人にあると、何度も自分に言い聞かせて諦めようとした。だけど俺も、心にフタをせず、ただ素直に気持ちを伝えたい。これからもずっと、俺と一緒にいてくれ」
片瀬くるみの目がみるみるうちに涙で潤み、苦しそうにキュッと眉根を寄せる。
「どうした?」
俺はそっと右手を伸ばし、その頬に触れる。
「だって、胸がきゅう……って締めつけられて。漫画の中だったらこんなことなかった。嬉しくて幸せなのに、どうしてこんなに切ないの?」
「それは、心が震えるからだ」
「心が、震える?」
「そう。1番大切な人と想いが通じ合ったから」
「1番大切な人と……。それって、好きな人ってこと?」
ポロポロと大粒の涙を溢れさせるその瞳に、俺は優しく「そうだよ」と微笑んだ。
「好きって、こんなに胸が痛くなるものなの? どうしてこんなに涙が出てくるの? 私、ギュッて抱きしめてほしくてたまらない」
「俺もだ。君が愛おしくてたまらない」
そばに行き、両腕で抱きしめると、耳元でささやいた。
「俺は君が好きだ、くるみ」
腕の中のくるみが、ハッと息を呑む。
「あの、私……これまで色んな人に好きだと言われたけど、こんな気持ちになったことなかった」
「……ちょっと、この状況で武勇伝語ってる?」
「違うの。好きな人に好きって言われたら、もう全身がしびれちゃうくらいキュンとして、雲の上に舞い上がったみたいに幸せでふわふわするのね。こんな気持ち、知らなかった」
「じゃあこれがくるみの初めてだな」
「うん。私、初めて誰かをこんなにも好きになったの」
俺は少し身体を離して、くるみの顔を覗き込む。
「教えて。くるみは誰を好きになったの?」
くるみはちょっと拗ねたように、上目遣いで俺を見上げた。
「……遥斗さん」
「それって、漫画の中の?」
「違うもん」
そう言ってくるみは両手で俺にギュッと抱きつく。
「私、あなたが大好き」
可愛くささやかれ、俺の胸にも幸せが込み上げてきた。
じわりと胸が温かくなり、切なさで締めつけられる。
こんな気持ちは、初めてだ。
「俺も、これほど誰かを好きになったことはない」
「そうなの?」
「ああ。これから二人で本当の恋愛を始めよう、くるみ」
くるみは嬉しそうに、うん!と頷く。
「言葉にできないほど、君が愛おしい」
俺はくるみの頬に手を添えて、ゆっくりと顔を寄せた。
恥ずかしそうに視線を落としたくるみを、ほんの少し上向かせる。
そっと目を閉じたくるみに、俺は心を重ねるように、甘く優しく口づけた。