偽王子と、甘い偽恋
 庭園を歩いていると、後ろからザッザッと芝生を踏みしめる音が聞こえ、私は肩を震わせて振り向いた。

 そこに立っていたのは臣くんで、明らかに苛立った表情をしている。何か言いたげな、それでいてやるせなさが滲むような、そんな表情。


「なあ、何で言いたいこと我慢した?」

「なんで、って…」


 確かにいつもの私なら、あの場で素直に「行かないで」と縋れたのかもしれない。

 だけど、あの状況で言いたいことをぶつけて、一体何になったのだろう。彼の家族の前で醜態を晒し、彼をさらに困らせただけで、ただ惨めな姿を見せつけるだけだったのではないか。


「困らせたく、なかったんだよ」

「は?」

「臣くん、あの時断り方にも悩んでたし…、取引先の方だから邪険にもできないって言ってたし…」


 震える声で言葉を零すと、臣くんは一歩踏み込み、有無を言わさず両手で私の頬を包み込んだ。ぐいっと持ち上げられ、まっすぐな瞳と視線がぶつかる。どうしようもなく逸らしたくなるのに、逃げることを許されない。


「…行かないで、って言ってほしかったよ、俺は」

「え?」

「我儘なんて確かにだるいし、うぜぇって思うけど、お前の我儘なら聞きたかったな」


 吐き捨てるようにそう言って手を離すと、臣くんは気まずそうに自分の前髪をくしゃっと乱した。


「あほくせ。何言ってんだ、俺…」


 深い溜息を吐き出し、彼は少しだけ不機嫌そうに私を見下ろした。その拗ねたような表情のせいか、端正な顔立ちがいつもより少しだけ幼く見える。


「…帰るか」


 ぶっきらぼうに差し出された大きな手に、私は自分の手をそっと預けた。
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