偽王子と、甘い偽恋
そんな男は存在しない。
 入社後、私は営業部の事務として配属された。

 そこで私の教育担当に就いたのは、溜息が出るほど麗しいスーツ姿の王子様、渋谷《しぶや》 瑛都《えいと》さん、二十五歳、独身。

 綺麗にセットされた黒髪に、涼やかに流し、見据える黒い瞳。浮かべる笑顔は完璧で、物腰も柔らかい。だけど、どこか付け入る隙がない人だった。

 入社早々、私は猛アピールを開始した。これほどの王子様を逃してなるものかと、周りの目も気にせずランチに誘い、歓迎会では酔ったふりをして、あざとい女子を演じてみたりもした。だが、結果はあえなく撃沈。

 そもそも、私の理想は追われて溺愛される恋愛のはず。それなのに、気付けば必死に彼を追いかけている自分。

 顔よし、スペックよし、財力よし(腕時計のブランドから推察)。性格は…、少々難ありだが、妥協するならこのレベルしかありえない。ようやく妥協できると思えるほどの男性に出会えたというのに、現実は非情だった。

 妥協、なんて言葉を使ったけれど、そもそも私は相手にとってその土俵にすら上がれていなかったのだと、後日思い知ることになる。

 渋谷さんには、すでに心に決めた人がいた。

 経理課に勤める二十四歳の、佐々木《ささき》 優菜《ゆうな》さん。クールな女性で、渋谷さんとは正反対のタイプなのに、なぜか彼に付きまとわれている不憫な人。

 絡まれている時の彼女は、毎度口をあんぐりと開けて「なんだこいつ」と言わんばかりの顔で応じている。美人が、先輩に対して見せるような表情ではない。だけど、なぜか渋谷さんは毎度楽しそうだった。

 そして、佐々木さんが渋谷さんを毛嫌いしている理由は、彼の華やかな女遊びの過去と、軽薄な本性にあった。
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