偽王子と、甘い偽恋
運命の王子、現る。
 ようやく残業を終わらせ、渋谷さんとの会話を反芻しながら会社を出た。

 自分の考えが極端だとは理解しつつも、憧れた恋を諦めることはできなかった。このままでは、恋人なんて当分できないことは分かっている。

 だけど、もしかしたら運命的で、世界一大好きな人に溺愛される、少女漫画のような展開がまだどこかにあるんじゃないかと、淡い期待を捨てきれずにいた。

 まあ、そんな都合のいい話は当然なく、出会いなんてどこにも転がっていない。簡単に落ちていたら、とっくに理想の恋とやらを手に入れている。

 そう考え込んでやりきれなくなり、ぼーっと歩いていると、不意につま先が何かに引っかかった。私はその場に、派手に転倒してしまった。

 考え事をしていて転ぶなんて、恥ずかしい。大人になって転んで、一緒に笑い飛ばしてくれる友人も近くにいなくて、こんな時に助けてくれる王子様なんてものも、当然いない。ただただ、惨めだった。

 地面に手をつき、情けなさに耐えながら溜息を吐いて、立ち上がろうとしたその時――。


「大丈夫ですか?」


 頭上から降ってきた柔らかな声に私は顔を上げる。

 視線の先にいたのは、心配そうに眉を寄せた一人の男性だった。

 艶やかな漆黒の髪。その奥で揺れる黒瞳は、吸い込まれそうなほど深く、優しい。黒いシャツは、彼のしなやかなスタイルを際立たせている。端正で、どこか幼さの残る甘い顔立ちは、一見、大学生のようにも見えた。


(王子様…、もしかしてこんなところにいた?)


 こちらに手を差し出す彼の頭上に、黄金に輝く王冠が見える気がした。
 というか、後光すら差していて、直視出来ない眩しさすら感じる。
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