初恋が始まるとき。
「すごいな」


 すぐにどこかに消えるほどの小さな声を零し、その光景から背を向け歩き出した。さっきのは相手の気持ちが見えないのに、きちんと勇気を出せている彼女への素直な賞賛の言葉だった。

 自分には出来ないことにもう羨望や嫉妬なんか感じない。それと同時に今は胸の痛みと戦うことに必死だった。

 この数日嫉妬をしつづけて、好きだと認めるしかなくなって、それでいて恐怖に勝てなかったから諦めるしかなかった。それにあの人には私みたいな生意気な女より、可愛らしい女性が似合うから。

 元々恋に落ちる予定なんかなかった相手だ。
 何も問題ない。少しずつ元に戻っていくだけ。

 そう言い聞かせて傷付かないようにしているのに、全然意味がないほど胸が痛んで苦しかった。今まで感じたことないほど胸がズキズキ痛んで、多少の痛みで涙なんて出ないのに、今日の痛みは零れる雫を耐えることが出来なかった。

 まわりに見えないように顔を俯かせ、ひたすら早歩きで歩き続け、駅前に着くと勢いでタクシーの前に行き扉が開いた瞬間乗り込んだ。そのまま震える声で自宅の住所を告げ、両手で顔を覆う。

 失恋したわけでもない。勝手に傷付いて泣くなんて馬鹿にもほどがあるってわかっているのに、いずれ渋谷さんが私の傍から完全にいなくなるかもしれないという現実が苦しかった。

 素直に伝えることが出来たらと思うのに、嫌いだと突き放し続けたくせに、今更恋だと素直に認めることがあまりにも身勝手な気がして伝えられなかった。
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