初恋が始まるとき。
 久しぶりに定時に帰れるとなり、連休前最後の仕事を終わらせ帰り支度をしていた時に靴が床を蹴る音が明らかにこちらへ近づいてきていて顔を上げた。

 そこにいたのは久しく見ていなかった渋谷さんで、口元にはゆるく弧を描き「よっ」と声を掛けてきていた。


「お疲れ様です」

「上がり?」

「そうですけど」

「久々に飯行こ。ゴールデンウイーク中の予定も立てたいし」


 ほんの少しの違和感。

 その約束まだ有効なんだ、なんて思いながら渋谷さんを見ると渋谷さんはこちらを見て首を傾げている。


「…予定あるんじゃないんですか?忙しいって聞きましたけど」

「そんな事言った?」

「本田さんから聞きました」


 そう言いながら荷物をまとめ、渋谷さんを待つことなくオフィスを出る。私の後を着いてくるのもわかっていてその後は勝手に隣を歩いてくるだけだと思っていた。

 そんな予想とは大きく外れて手首を掴まれ驚いて振り向くと、真剣な表情をしている渋谷さんに驚いた。誰もいないとはいえ、会社の廊下。いつ誰が来るかも分からない。

 廊下に差し込む夕焼けがこちらを照らしていて、壁には私達の影が映る。私達と同じように影も見つめ合っていて、しばらく無言が続く。


「あ、の、何ですか」

「知ってた?」

「何が」

「本田さんの気持ちとかそういうの」


 その問いに対して言葉が詰まる。知ってたと言うだけなのに、言葉が出なくて視線を少し下に落とした。
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