初恋が始まるとき。
 それからその帰り際だった。
 月の中でも少し忙しい時期で、いろいろと考え事も重なり、うまく仕事が進まず残業をするような羽目になってしまった。

 経理には子供がいる家庭の女性が多く、周りにはほとんど残っていない。私のような独り身や男性社員、上司がちらほらと残っているが区切りがついて帰りそうな雰囲気があった。

 少しずつまだ残っている私に「お疲れ様です」なんて声をかけて、人もまた減っていく。

 残業しなければいけなくなったのは、くだらないことに気を取られてうまく仕事ができなかった自分の責任なので何も思わない。

 ただただ指を動かして数字を入れながら計算が合っているか確認していく。

 数字ばかり見すぎて疲れがたまってきた頃「お疲れ。珍しい、残業」なんて声が聞こえてきてそっちの方向を見た。

 こんな声のかけ方をしてくる人なんて、会社では渋谷さんしかいなくて、一応確認するために見たが、見ずとも誰が来たか分かった。


「お疲れ様です。渋谷さんは何してるんですか」

「書類を置きに来ただけ。もう帰るけどそっちは?」

「今日はまだかかるので、残ります」


 普通に会話をしているのに、なんとなくいつもと違う声の感じや態度や雰囲気に、どこか壁があるような気がする。

 そして今回のその壁は私が建てているわけではない。
< 20 / 132 >

この作品をシェア

pagetop