野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)
<そうはおっしゃっても、あのご様子では>
女房(にょうぼう)が部屋へ戻ると、浮舟(うきふね)の君(きみ)の姿が見えない。
なんと、いつもは近づきもしない大(おお)尼君(あまぎみ)のお部屋へ入りこんでいるの。
ほとほと困り果てた女房は、中将(ちゅうじょう)様に正直にお話ししてしまった。

中将様も不思議で仕方がない。
「いったいどういうことなのだ。こんな寂(さみ)しい山里(やまざと)でお暮らしの、それなりに身分の高そうな姫君(ひめぎみ)でいらっしゃるのだろう。恋の甘い雰囲気が通じないわけがない。それとも、何か男に懲(こ)りるような経験をなさったのか。世間を恐れていらっしゃるというのもそれが理由か。詳しい事情を知りたい」

そうお尋ねになるけれど、女房としても、「宇治(うじ)の院(いん)で行(い)き倒(だお)れになっていらっしゃるところを拾っただけで、ご本人も何もおっしゃいませんから、事情は存じません」とはまさか言えない。
「尼君のご親戚(しんせき)と伺(うかが)っております。半年ほど前に長谷(はせ)寺(でら)にお参りなさったとき、何年ぶりかで再会なさったとか。他に頼れる人がいらっしゃらないようで、尼君がお引き取りになったのです」
と申し上げた。

大尼君のお部屋で浮舟の君は眠れずにいた。
お年寄りのいびきは恐ろしい。
大尼君のいびきに負けじと、年(とし)老(お)いた女房たちまで大きないびきをかいて寝ているの。
<この人たちに食べられてしまうのではないかしら>
浮舟の君は恐ろしくなる。
むしろ死にたいはずなのに、食い殺されると思うと震えてしまう。

女童(めのわらわ)を連れて大尼君のお部屋に逃げこんだけれど、その子は客席の方へ行ってしまった。
せっかく美しい男性がお越しになったから、近くでお姿を覗(のぞ)き見(み)したいのよね。
<早く戻ってきておくれ>
と浮舟の君は祈っているけれど、なんともまぁ頼りないお供(とも)だったこと。

中将様はこれ以上何もおっしゃれなくてお帰りになった。
女房は、
「強情(ごうじょう)でいらっしゃいますね。お若さもお美しさももったいない」
と女君(おんなぎみ)に文句を言って、大尼君のお部屋で寝てしまう。

夜中、大尼君はご自分の咳(せき)で目覚めると、浮舟の君をお見つけになった。
白髪(しらが)頭(あたま)に黒い布をかぶって、
「おや、これは誰だ」
と恐ろしい声でおっしゃる。
<あぁ、食べられてしまう>
浮舟の君は思わず身(み)構(がま)えるけれど、もちろんそんなことにはならない。
大尼君はすぐにまたいびきをかきはじめなさった。

<妖怪(ようかい)に宇治(うじ)の院(いん)に連れていかれたときは、気を失っていたから恐ろしくはなかった。あのとき死ねたらよかったのに。生き返ったせいで、また昔のことを思い出して苦しんだり、こんな恐ろしい目に遭(あ)ったりしている。しかしもし死んでいたら、今ごろは地獄(じごく)でもっと恐ろしい鬼(おに)たちに囲まれていたのだ>
と想像する。
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