きみだけのぬくもり

さ 3人の均衡

昼休み、教室はいつもより少し明るかった。理由は分かっている。あの人がいるだけで、空気が変わる。

「一緒に食べない?」

自然な流れで、三人で机を寄せることになった。断る理由なんてないはずなのに、なぜか少しだけ迷った。でも結局、何も言えずにそのまま座る。

距離が、近い。

正面に座るその人は、いつも通りの優しい笑顔で話しかけてくる。横には、あの転校生がいる。

「ねえ、それちょうだい」

軽く言って、こちらの飲み物に手を伸ばしてくる。その動きが自然すぎて、止めるタイミングを失う。

一口飲んで、くすっと笑う。

「甘いね」

そのまま返される。

触れていないはずなのに、間接的に触れられた気がして、指先がじんわり熱を持つ。

「え、なにそれ」

横から声が入る。

「それ、共有する感じ?」

軽い冗談のはずなのに、どこか引っかかる言い方だった。

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

あの人は、あっさり笑って返す。

そのやり取りを見ているだけなのに、胸の奥がざわつく。

どうして。

分からないまま、その感情だけが大きくなる。

「七瀬も飲む?」

急に名前を呼ばれて、思考が止まる。

差し出されたのは、さっきまであの人が飲んでいたもの。

断ればいいのに。

なのに。

「……うん」

受け取ってしまう。

口をつける。

ほんの少しの行為なのに、心臓の音が大きくなる。

甘い。

でも、それだけじゃない。

さっきまでそこに残っていた温度を、なぞっているみたいな感覚。

「どう?」

覗き込まれる。近い。

「……甘い」

それしか言えない。

「でしょ?」

満足そうに笑う。

その様子を、横で見ている視線があることに気づく。

凛。

何も言わずに、ただ見ている。

でもその視線は、さっきまでと違う。

少しだけ、鋭い。

「仲いいね」

ぽつりと、そう言った。

その一言で、空気がほんの少し変わる。

「普通だよ」

あの人は気にせず笑う。

でも、その“普通”が、なぜか胸に刺さる。

普通。

じゃあ今のこれは、何なんだろう。

「そっか」

凛は小さく笑う。

そのまま、ふとこちらを見る。

目が合う。

逃げられない。

「ねえ」

静かに呼ばれる。

「それ、返して」

視線が、手元に落ちる。

持っている飲み物。

さっきまで自分が口をつけていたもの。

差し出す。

その時、わざとみたいに指が触れる。

びくっとする。

離れない。

ほんの一瞬なのに、長く感じる。

「ありがと」

そのまま口をつける。

同じ場所に。

さっき自分が触れたところに。

ぞわっとする。

それを、見せつけるみたいに。

ゆっくりと。

「……」

何も言えない。

「なに、そんな顔して」

くすっと笑う。

その笑い方が、やけに近い。

「別に、普通だよね?」

さっきと同じ言葉。

でも意味が違う。

試されている。

そう感じる。

「……うん」

肯定してしまう。

その瞬間、凛の表情がほんの少しだけ緩む。

「よかった」

小さく、そう言った。

その“よかった”の意味が分からない。

でも、分かりたくない気もした。

昼休みが終わる頃には、三人の距離は確実に変わっていた。

近くなったはずなのに、どこか歪んでいる。

帰り道。

「今日も一緒に帰る?」

いつもの声。

そのはずなのに、なぜか少し違って聞こえる。

「うん」

答える。

でもその直後。

「私も行く」

凛の声が重なる。

一瞬、沈黙が落ちる。

断る理由なんてない。

なのに、胸の奥がざわつく。

「いいよ」

あの人はすぐに笑う。

その笑顔が、少しだけ遠く感じる。

三人で並ぶ。

左右に一人ずつ。

逃げ場がない。

歩き出す。

何気ない会話。笑い声。

全部、いつもより少しだけ大きく響く。

ふと気づく。

どちらの隣にいるのか。

それだけで、感情が揺れる。

「ねえ」

凛が、静かに言う。

「どっちが好き?」

足が止まりそうになる。

「え?」

聞き返す。

「どっちの隣が、落ち着く?」

その質問は軽いのに、重い。

答えを間違えたら、何かが壊れる気がする。

でも。

どっちも選べない。

選びたくない。

「……分かんない」

正直に言う。

すると、凛は少しだけ笑った。

「そっか」

そのまま、ほんの少しだけ近づく。

肩が触れる。

逃げられない。

「じゃあ」

耳元で、低く囁かれる。

「分からなくなるまで、やろっか」

心臓が強く跳ねる。

意味が分からないはずなのに、理解してしまう。

その瞬間、もう戻れない気がした。

横を見る。

いつもの笑顔。

でも、その裏に何があるのか、分からなくなっていた。

前を見る。

何もない帰り道。

なのに、確実に何かが歪み始めている。

三人の関係は、ちょうどいいバランスなんかじゃなかった。

崩れるために、保たれているだけだった。

そしてその中心にいるのが、誰なのか。

もう、分かり始めていた。
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