きみだけのぬくもり

な 選ばれない側

放課後、三人で歩く帰り道は、もう当たり前になっているはずだった。

なのに今日は、足元が少しだけ不安定に感じる。

並んでいるはずなのに、距離が合わない。歩幅が合わない。呼吸のタイミングさえ、どこかずれている気がする。

気づけば、少しだけ後ろにいる。

前を歩く二人の背中が、やけに近くて、やけに遠い。

「ねえ、それさ」

凛の声がする。

振り向かないまま、あの人が笑う。

「ん?」

自然なやり取り。

いつも通りのはずなのに、そこに自分がいない。

会話に入ろうと思えば入れる。距離だって詰められる。

なのに、足が動かない。

そのまま、少し後ろで聞いているだけになる。

「それ似合うね」

凛が言う。

「ほんと?」

嬉しそうに笑う声。

その声を、こんな距離で聞くのは初めてな気がした。

もっと近くで聞いていたはずなのに。

なんで。

分からないまま、胸の奥がじわじわと冷えていく。

――近づけばいい。

分かっているのに。

近づいた瞬間、何かを見せつけられる気がして、足が止まる。

その時。

ふいに、凛がこちらを振り向いた。

目が合う。

逃げ場がない。

「七瀬、遅いよ」

軽く言う。

その言い方が、少しだけ優しい。

だから余計に、胸が痛い。

「ごめん」

小さく答える。

近づく。

でも、その一歩がやけに重い。

並ぶ。

三人が、また同じ列になる。

そのはずなのに。

「ねえ」

凛が、あの人の腕に軽く触れる。

自然な動き。

でも、その距離が近すぎる。

「今日、楽しかった?」

「うん、楽しいよ」

迷いなく返される。

その即答が、胸に刺さる。

「ほんと?」

凛が少しだけ顔を近づける。

「うん」

また、即答。

そのやり取りを、横で聞いている。

ただそれだけなのに、息が苦しい。

「そっか」

凛が笑う。

その笑顔は、こちらには向いていない。

気づいた瞬間、心の奥で何かが音を立てて崩れる。

――ああ。

理解してしまう。

自分は今、この瞬間。

“余っている”。

いらないわけじゃない。

でも、必要でもない。

どちらでもいい存在。

それが、一番残酷だった。

「七瀬?」

名前を呼ばれる。

遅れて顔を上げる。

「どうしたの?」

いつもの声。

優しい声。

でも。

さっきまで、別の方向に向いていた声。

「……なんでもない」

そう言うしかない。

言った瞬間、自分でも分かる。

嘘だ。

何もかも、なんでもある。

全部おかしい。

全部、苦しい。

なのに、言えない。

言ったら、完全に“外れる”気がするから。

そのまま歩き続ける。

会話は続いている。

笑い声もある。

でも、その全部が、少し遠い。

水の中にいるみたいに、ぼやけて聞こえる。

「ねえ」

不意に、凛の声が落ちる。

「七瀬」

名前を呼ばれる。

足が止まりそうになる。

「ちゃんと見てる?」

視線が合う。

逃げられない。

「今の、自分」

静かに言われる。

その一言で、心臓が強く跳ねる。

「……見てるよ」

かろうじて返す。

「ほんとに?」

一歩、近づく。

距離が詰まる。

逃げ場がなくなる。

「だってさ」

少しだけ笑う。

「すごい顔してる」

ぞくっとする。

無意識に、頬に触れる。

分かる。

今、自分はきっと、隠せていない。

「ねえ」

さらに近づく。

声が低くなる。

「つらい?」

その問いが、まっすぐ刺さる。

否定しなきゃいけないのに、言葉が出ない。

沈黙が、そのまま答えになる。

凛が、少しだけ目を細める。

「やっぱり」

その一言で、全部見抜かれた気がした。

「いいよ」

優しく言う。

その優しさが、異様に甘い。

「そういう顔、好き」

理解したくないのに、分かってしまう。

苦しんでいるところを、見られている。

それを。

選ばれている。

「ねえ」

指先が、そっと触れる。

今度は逃げない。

逃げられない。

「こっち来る?」

囁かれる。

意味は曖昧なのに、方向ははっきりしている。

今いる場所から外れるか。

それとも、別の場所に入るか。

選ばれないままでいるか。

それとも、選ばれる側に行くか。

その境界線に立たされている。

「……」

何も言えない。

でも。

心の奥で、ひとつだけはっきりしたものがあった。

このままじゃ、耐えられない。

その瞬間。

凛の指が、少しだけ強くなる。

「ほら」

引かれる。

ほんの少しだけ。

でも、それだけで。

足が、動く。

一歩。

踏み出してしまう。

その瞬間。

何かが、決定的に変わった気がした。

戻れない方に。

静かに。

でも確実に。
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