10年越しの溺愛——御曹司は私を逃さない
「佐藤さん、来たんだって?」
「……はぁー…情報早いね」
できるだけ平静を装って返したつもりだったけど、ちゃんと笑えていたかは分からない。
「こっちは営業だぞ」
当然だろ、って言いたげな顔で肩をすくめる井口。
「それで?何かあったのか?」
「心配してくれてるの?」
思わず聞き返すと、井口は一瞬だけ目を細めて、「そりゃ、事情知ってるからな」と短く答える。
翔と付き合っていたことを知っている人は、この会社にたくさんいる。でも、どうして別れたのか、その理由まで知っている人は限られている。私の周りでは、紗耶香と井口だけ。
あの夜のことも、私が何を選んで、何を捨てたのかも、全部。
翔は――あの人は、周りの人に何か話しているんだろうか。
「お前と佐藤さんの場合、どっちが悪かったとかねーだろ?そんな顔する必要ねーよ」
分かってる、そんなこと。頭では何度も何度も理解してきたことだし、紗耶香も井口も、あのときからずっと同じことを言い続けてくれていた。気にする必要なんてない、よくあることだって。誰が悪いわけでもないって。
それでも――「でも…」と、言葉が喉の奥に引っかかるみたいにうまく出てこない。
「佐藤さんは、結婚してお前に家庭に入ってもらいたかった。お前は、結婚よりもキャリアをとった。よくある価値観の違いだ。タイミングが合わなかっただけで、佐藤さんだってもう気にしてないだろ」
……そう、ただそれだけの話だった。特別でもなんでもない、どこにでもあるすれ違い。
だけど、私にとっては――たった一つの、大きすぎる選択だった。