10年越しの溺愛——御曹司は私を逃さない
「……ずるいです。そんなの、知らなかったら……」
涙が勝手に滲んでいく。
「逃げられないじゃないですか」
雨音だけが、やけに遠くで響いていた。さっきまであれほど騒がしかったはずの世界が、この瞬間だけ切り取られたみたいに静かだった。声が震えたまま落ちた瞬間、社長の表情がわずかに揺れる。
ほんの一瞬だけ見せたその揺らぎは、すぐにいつもの静けさに戻ってしまう。それでも、目だけは逸らさなかった。逃げ場を作らないまま、そこに立っている。
「逃がすつもりは、最初からない」
強いのに、どこか不器用で、まっすぐすぎる声だった。
「でもな、梨沙」
名前を呼ばれただけで、胸が跳ねる。
「逃げたいって言うなら、それでもいい」
思わず顔を上げる。否定する言葉じゃないのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「ただし——その前に、ちゃんと選べ」
「…っ、」
「俺を選ぶか、全部捨てるか」
ずるい。あまりにも、ずるい選択肢だった。涙が視界を滲ませる。
「……そんなの。最初から、選ばせてなんかいなかったくせに」
声が震えたまま落ちる。そして——社長はわずかに目を細めた。
「……そうだな。最初から決めていた」
一歩、さらに距離が詰まる。もう、呼吸の境目すら曖昧になる。
「——お前を、手に入れると」