10年越しの溺愛——御曹司は私を逃さない
「問題ない」
あまりにもあっさりした一言に、その場の空気が止まる。
「正式契約はこちらだ。口頭の条件は効力を持たない」
迷いのない断定。
「ただし」
そのまま視線が井口に向く。
「営業の詰めが甘いのは事実だ」
言葉が重く落ちる。
「そこは交渉で調整する」
社長はそのままスマホを取り出し、どこかへ連絡を入れる。
「俺だ。この間の件だが——」
数分後。さっきまでのやり取りが嘘みたいに、話はまとまった。条件の一部調整だけで、契約内容はそのまま通る。損失も最小限。通話を終えた社長は、何事もなかったかのようにスマホをしまう。
「これで処理できるな」
「……はい」
遅れて返事をすると、視線が一瞬だけこちらに向く。
「白石、戻れ。後処理は指示出す」
それだけ言って、踵を返す。その背中が見えなくなる直前、ほんのわずかに立ち止まった気がしたのは、気のせいだろうか。残された空気の中で、井口が小さく息を吐く。
「……やっぱ、呼んで正解だったな」
その声はさっきよりもずっと静かで、どこか諦めたようだった。
ぐっと唇をかむ。言わなきゃいけない。ちゃんと、ここで終わらせないといけない。