10年越しの溺愛——御曹司は私を逃さない
逃げる、なんて。そんな選択肢、もうとっくにないくせに。
なのに、その言い方があまりにも子ども扱いで、カチンとくる。
「……もう、逃げません!」
思わず顔を上げて、睨みつけるように言い返していた。
自分でも驚くくらい、はっきりとした声だった。
黒崎社長は、そんな私を見下ろす。私よりずっと高い位置から、ゆっくりと目を細めて。
その表情は、会社で見せる厳しい顔とも、無機質な無表情とも違っていて——どこか、余裕があって、少しだけ楽しんでいるようにも見えた。
また、胸がドクンと大きく跳ねる。
あぁ、やだやだ。ほんとに、ずるい。顔が、ずるい。
そんなふうに思ってしまう自分が、一番いやだ。
黒崎社長は私の頭から手を離すと、そのまま何事もなかったみたいに踵を返す。
「大人しくしてろよ」
最後にそう言い残して、部屋を出ていく。
その背中が見えなくなった瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩んだ気がした。静かになった部屋に、一人取り残される。さっきまで確かにあった気配が消えてしまうと、やけに広く感じる空間が、少しだけ心細い。
私はその場に立ち尽くしたまま、小さく息を吐いた。
ここから先、どうなるのかなんて分からない。
でも——もう、逃げる場所なんてないのだけは、はっきりしていた。