10年越しの溺愛——御曹司は私を逃さない



逃げる、なんて。そんな選択肢、もうとっくにないくせに。

なのに、その言い方があまりにも子ども扱いで、カチンとくる。


「……もう、逃げません!」


思わず顔を上げて、睨みつけるように言い返していた。

自分でも驚くくらい、はっきりとした声だった。


黒崎社長は、そんな私を見下ろす。私よりずっと高い位置から、ゆっくりと目を細めて。

その表情は、会社で見せる厳しい顔とも、無機質な無表情とも違っていて——どこか、余裕があって、少しだけ楽しんでいるようにも見えた。


また、胸がドクンと大きく跳ねる。


あぁ、やだやだ。ほんとに、ずるい。顔が、ずるい。

そんなふうに思ってしまう自分が、一番いやだ。


黒崎社長は私の頭から手を離すと、そのまま何事もなかったみたいに踵を返す。


「大人しくしてろよ」


最後にそう言い残して、部屋を出ていく。

その背中が見えなくなった瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩んだ気がした。静かになった部屋に、一人取り残される。さっきまで確かにあった気配が消えてしまうと、やけに広く感じる空間が、少しだけ心細い。


私はその場に立ち尽くしたまま、小さく息を吐いた。

ここから先、どうなるのかなんて分からない。


でも——もう、逃げる場所なんてないのだけは、はっきりしていた。


< 68 / 195 >

この作品をシェア

pagetop