社長、その溺愛は計算外です
「……冗談、ですよね?」
絞り出すような声で尋ねると、彼は笑わなかった。
「冗談じゃない」
その目に、迷いは一切なかった。ビジネスの場で即断する時と同じ、一点の曇りもない確信の色。
「……勝手すぎます」
気づけば、私はそう口にしていた。
「私、そんな単純な人間じゃありません」
声は震えているのに、目を逸らせない。
すると彼は、ほんの一瞬だけ目を見開いて──。
「……ああ、知ってる」
低く笑った。
「だから、欲しいんです」
エレベーターが一階に着き、チャイムが鳴る。
彼の手が、私の手首からゆっくりとほどける。けれど指先だけが、最後まで肌に触れていた。
「今度、お時間があるときに……」
言いかけて、彼は一瞬だけ口を閉じた。珍しく、言葉を探すような間。
「……もっと、お話できればと思います。仕事のことではなく」
ドアが開き、外の冷たい空気が流れ込む。
「それでは。また──来週、オフィスでお会いしましょう」
会議室では決して見せたことのない、どこかぎこちなく誠実な表情を残して、彼は踵を返した。
私は、ただ頷くことしかできなかった。
──この人は、口説き慣れていない。
直感的に、そう思った。