社長、その溺愛は計算外です
「ちゃんと、話は聞きました」
それだけ言って、私はエレベーターに向かった。
乗り込む前に、一度だけ振り返った。
圭佑さんは、まだそこに立って、私を見ていた。
バタンと、ドアが閉まる。
エレベーターの中で、私は壁に背中を預けた。
握られていた手の感触が、まだ残っている。
『今、俺の手元には何もない』
あの言葉が、頭の中で繰り返された。
あの人は、私のために何を抱えているのだろう。
◇
フロアに戻り、しばらくしてメッセージが届いた。
【梓さん
今日は、突然押しかけて申し訳ありませんでした。
土曜日の午後、お時間はありますか。
ちゃんと話したいことがあります。
十一時、代官山の公園で待っています。
圭佑】
代官山。
圭佑さんの「本当の居場所」があった街。あのレストランで「梓さんにだけは見せたかった」と言っていた場所。
その場所を、また選んでくれた。
私は、しばらくスマホを見つめた。
『今、俺の手元には何もない』
そう言って、それでも来た。そして、待っていると言う。
逃げ続けることは、もうできない。
私は返信した。
【分かりました。
土曜日、伺います。
梓】
送信ボタンを押して、窓の外に目をやった。
秋の夕暮れが、街を橙色に染めていく。
今度こそ、ちゃんと話を聞こう。
そして、私の気持ちも正直に伝えよう。