社長、その溺愛は計算外です

「ちゃんと、話は聞きました」

それだけ言って、私はエレベーターに向かった。

乗り込む前に、一度だけ振り返った。

圭佑さんは、まだそこに立って、私を見ていた。

バタンと、ドアが閉まる。

エレベーターの中で、私は壁に背中を預けた。

握られていた手の感触が、まだ残っている。

『今、俺の手元には何もない』

あの言葉が、頭の中で繰り返された。

あの人は、私のために何を抱えているのだろう。



フロアに戻り、しばらくしてメッセージが届いた。

【梓さん

今日は、突然押しかけて申し訳ありませんでした。
土曜日の午後、お時間はありますか。
ちゃんと話したいことがあります。
十一時、代官山の公園で待っています。

圭佑】

代官山。

圭佑さんの「本当の居場所」があった街。あのレストランで「梓さんにだけは見せたかった」と言っていた場所。

その場所を、また選んでくれた。

私は、しばらくスマホを見つめた。

『今、俺の手元には何もない』

そう言って、それでも来た。そして、待っていると言う。

逃げ続けることは、もうできない。

私は返信した。

【分かりました。

土曜日、伺います。

梓】

送信ボタンを押して、窓の外に目をやった。

秋の夕暮れが、街を橙色に染めていく。

今度こそ、ちゃんと話を聞こう。

そして、私の気持ちも正直に伝えよう。
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