社長、その溺愛は計算外です
「もしもし、新谷です」
『新谷さん。まだ作業中ですか?』
桐原さんの声が、スマホから流れてくる。深夜だからか、いつもより柔らかく、親密に響く。
「桐原さん! はい、もう少しで完成しそうです」
『お一人で?』
その一言に込められた心配が、目頭を熱くした。
「はい。チームのみんなには、帰ってもらいました」
『……そうですか』
少し躊躇うような間があった。
『自社のモジュールが関係する以上、最後まで確認する義務があります』
いつもの、合理的な声。
『……もっとも、それだけが理由ではありませんが』
「え……?」
『オンラインで、確認のお手伝いをしますよ。あの認証システムは、設計に関わった僕が見た方が早い』
「でも、もうこんな時間ですし……」
『構いません。気になって、眠れませんから』
短く、それだけ言った。
彼の申し出に、静かな温もりが広がった。
「ありがとうございます。実は、最終チェックで少し不安な部分がありまして……」
『分かりました。今から一緒に確認しましょう』
数分後、私のパソコン画面に桐原さんの顔が映し出された。
黒のタートルネック。少し乱れた髪。仕事の場では決して見せない、素の表情。背後には本棚が並んでいる。書斎だろうか。
──いつものスーツ姿しか知らなかったのに。
思わず目を逸らしたくなるような、親しみやすさがある。それがかえって、落ち着かなかった。
本棚には、技術書だけじゃなく、背表紙の色が褪せた小説も混ざっていた。
仕事に役立つわけでも、誰かに知識を披露するためでもない。ただ好きで、手元に置いておきたい。
彼の中にも、そんな柔らかな場所があるのだろうか。
──そういう、小さなことが気になった。
『では、画面共有をお願いできますか』
桐原さんの声に、私は慌てて画面に向き直った。