社長、その溺愛は計算外です

通話が切れた後、オフィスに静寂が戻ってきた。

疲労はピークに達しているはずなのに、不思議と体は軽かった。

戦略も、マニュアルも、今夜は一度も役に立たなかった。それなのに、これほど満たされた朝は、久しぶりだった。

──そういえば。

ふと気づいた。

「少し確認したいことがあって」と言って廊下に戻ってきた桐原さんが、結局その「確認したいこと」を一度も口にしなかった。

あの一瞬の、言葉を探すような表情。

偶然、あの場所にいたわけじゃないのかもしれない。

そう思ったら、指先がじんわりと温かくなった。



スマホをバッグにしまい、私はデスクの上を片付け始めた。

洗面所で顔を洗い、髪を整えて鏡を見る。少しはマシになったかしら──そう思った時、スマホが振動した。

送り主を見て、私の動きが止まる。

『桐原圭佑』

震える手で、私はメッセージを開く。

【お疲れ様でした。君の仕事ぶり、見事でしたよ。

近くのカフェのモーニングを予約しておきました。

『カフェ・ソレイユ』というお店です。

受付で、お名前をおっしゃっていただければ大丈夫です。

しっかり朝食を摂って、元気になってください。

今度、改めてお食事のお誘いをさせていただきますね。

仕事とは関係なく、個人的に。

桐原圭佑】

メッセージを読んだ瞬間、喉の奥がつまった。

徹夜明けで、まともな食事を摂っていない。それを、ちゃんと考えていてくれたのだ。

こんなに自然に、こんなにさりげなく気遣ってくれる人がいるなんて。

「桐原さん……」

私はスマホを胸に抱きしめた。

冷え切っていた指先に、画面から伝わる微かな熱が心地よかった。
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