社長、その溺愛は計算外です
「予定が崩れることに、メリットがあるんですか」
「……あります」
「どんな?」
「計画していなかった場所に迷い込んで、思いがけない景色に出会えたり。誰かと話すきっかけになったり」
「それは──」
彼が少し間を置いた。
「事前にリサーチすれば、再現できませんか」
「できないんです、そこが良いんです」
思わず笑うと、桐原さんが目をわずかに細めた。
「……なるほど。僕には、その感覚が少し分かりません」
「そうでしょうね」
「ただ」
彼が続けた。
「君がそう言う時の顔は、会議室では一度も見たことのない顔です」
「……え」
「楽しそうで、少しだけ遠くを見ている」
それきり、彼は何も言わなかった。
その一言が、ふわりと背中のあたりに落ちた。会議室での私しか知らないはずの人が、こんな顔に気づいている。
「桐原さんも、今日は一人で?」
「ええ。会議が長引いて……気づいたら、ここに入っていました」
彼も、同じように逃げ込む場所が必要だったのだろうか。
「お互い様ですね」
その一言で、会議室での緊張感が、すうっと解けていく気がした。
仕事相手でも、経営者でもない。同じように疲れた平日の夜に、書店で現実逃避をしている、ただの二人。
「あの……」
彼が、わずかに躊躇いながら切り出した。
「よろしければ、あの約束を今日果たしたいのですが。お時間、もらえますか」
先日の深夜、通話越しに交わした『今度、一緒に食事に』という言葉が蘇った。
「はい。ぜひ、お願いします」
疲れているはずなのに、彼と一緒にいたいという気持ちの方が、不思議と強かった。
「それでは、近くに良いお店があるので」