社長、その溺愛は計算外です
時計を見ると、もう二十二時を回っていた。
会計を頼もうとした時、隣のテーブルから男性の声がした。
「あの、突然すみません。良かったら、連絡先を……」
男性が言い切るより早く、圭佑さんが椅子を引いて立ち上がった。
何も言わなかった。ただ、一歩踏み出し、男性の方へ静かに視線を向けただけだ。
怒りも、威圧もない。「これ以上は無駄だ」と告げるような、静かで確かな光が目の奥にあった。
男性の言葉が途切れた。圭佑さんの目に何かを感じたように、小さく「失礼、しました」と言って視線を外した。
「……」
私は、呆気に取られていた。声を荒らげたわけでもない。立っただけなのに。
一瞬の静寂の後、圭佑さんが私に向き直る。そこにはもう、いつもの穏やかな彼しかいなかった。ただ、わずかに呼吸が浅かった。
今の一瞬、この人の中で何かが動いた──その余韻だけが、空気にまだ残っていた。
彼は流れるような所作で会計を済ませ、私のコートを取ってくれた。
そのあまりにも自然なエスコートに、私は言葉を失ったまま、彼に促されるように店を出た。
◇
店を出ると、少し冷たくなった夜風が頬を撫でた。
「圭佑さん」
「はい」
「さっきのは……」
「分析した結果、あの状況では立つのが最適だと判断しました」
「……それだけですか?」