社長、その溺愛は計算外です
食べ終わった後も、私たちはしばらくそのままでいた。
ゴールドが私の足元に頭を乗せ、小さく寝息を立てている。圭佑さんは空になったお皿を重ねながら、何も言わなかった。
何も言わなくていい、と思った。
仕事の打ち合わせでは、沈黙は埋めるものだった。提案を出して、反応を読んで、次の言葉を探す。
けれど、今夜の沈黙は違う。
雨の音。ゴールドの寝息。窓の外で光っているビルの灯り。
それだけで、十分だった。
「……居心地がいいですね、ここ」
気づいたら、口をついていた。
圭佑さんが、少し驚いたように私を見た。
「そうですか」
「はい。なんというか……ただ、いていい場所、って感じがして」
我ながら、うまく言葉にできない。
「ただ、いていい場所」
圭佑さんが、小さく繰り返した。
どういう意味で繰り返したのか、表情からは読めなかった。
ただ、その目が柔らかくなったのを、私は見た。
その静けさの中で、圭佑さんがふと、真剣な顔つきになった。
「梓さん」
「はい?」
「僕がKIRIHARA TECHを立ち上げた年、一年間ほぼ一人だったんです」
思いがけない言葉に、私は顔を上げた。
「社員を雇う余裕もなくて。昼間は営業して、夜中にコードを書いて、明け方に企画書を直して」
彼が、窓の外の雨を見つめる。
「うまくいかない日が続くと、今まで全部間違いだったんじゃないかと思って。ゴールドの頭を撫でながら、ソファで仮眠を取るだけの日が何ヶ月も続きました」
あの静かなリビングで、この人はゴールドと二人でいたのだ。誰にも言えないまま。
ふと、レストランで見た女性の顔が浮かんだ。
あの目の奥にあった、覚悟を決めたような光。
あの人は、この一年間のことを知っているのだろうか。