没落令嬢ですが聖女になった途端、婚約破棄した皇太子に溺愛されています
その言葉と共に、侍従がそれを掲げる。

(……これを……私に……?)

手が、わずかに震える。

受け取れば、もう戻れない気がした。

町で人を癒していた、あの日常には。

ただの“セレス”として生きていた時間には。

それでも――

「受け取れ」

静かな命令。拒むことは、許されない。

私はゆっくりと手を伸ばし、そのティアラを受け取った。

触れた瞬間、ひんやりとした感触が伝わる。

そして同時に、胸の奥に、何かが重く沈んだ。

(私が……聖女……?)

歓声が、遠くで上がる。

けれどその音は、どこか現実感がなかった。

ただ一つ、はっきりしているのは――

もう、以前の私には戻れないということだけだった。
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