恋の雨が降るとき 〜クールな外科医は甘く囁く~
仕事を終えて帰宅したとき、幸子はいつもよりも深く息を吐いた。
外の空気は少し冷たく、頬に触れる感触がやけに鮮明だった。
病院で過ごした時間が、長く感じられたせいかもしれない。

玄関の扉を開けた、その瞬間、小さな鳴き声が迎えてくれた。

「ミルク、ただいま」

声をかけながら靴を脱ぐ。
部屋に上がると、子猫がゲージの隅に駆け寄ってきて、「出して」と身体を擦りつけた。
そっと、ゲージの扉を開くと、ぴょんと飛び出し、足元に擦り寄る。

その小さな存在に触れた途端、張り詰めていた気持ちが、ほどけていく。
抱き上げると、あたたかな体温が腕の中に広がった。

「……今日ね、ちょっとだけ大変だった」

子猫は膝の上で、何も知らないまま喉を鳴らしている。
その無防備さに、ふっと肩の力が抜けた。

それでも、胸の奥に残っているざわめきは、まだ消えない。

病院で聞いた言葉。
向けられた視線。
あの場で、自分が選んだ答え。

ひとつひとつは小さなことなのに、どれも確かに心に残っている。

そのときだった。
ポケットの中でスマートフォンが震え、心臓が強く跳ねた。
画面を見る前から、誰からの連絡なのかわかった気がする。

――松澤克樹。

ゆっくりとメッセージを開くと短い一文。

『今から行く』

このあと、ここに来るんだと、意識した瞬間、さっきまでとは違うざわめきが広がる。
落ち着こうとしても、うまくいかない。

何を話すのか。
どんな顔をすればいいのか。
考えようとするほど、まとまらなくなる。

それでも、逃げたいとは思わなかった。
むしろ、きちんと向き合いたいと思っている自分に気づく。

少しだけ迷って、それから文字を打つ。

『……はい、待っています』

送信する。

画面を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。
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