恋の雨が降るとき 〜クールな外科医は甘く囁く~
「クラ子、松澤先生見すぎ」

「わかる」

「狙ってたりして」

二人は小さく笑う。

「まさか!? クラ子が?」

「ないない」

その笑い声が、耳に刺さる。

幸子は書類を揃えながら、静かに息を吐いた。

――ほら、やっぱり。

自分でも気づかないうちに、視線を向けてしまっていたのだろう。

(見てるつもりなんて、なかったのに)

気にしない。
いつものことだ。

そう思おうとした、そのとき。

ふいに、待合室の先から視線を感じ、顔を上げた。

そこには、松澤が立っていた。

ほんの一瞬、視線が合う。

時間が、止まったみたいに。

心臓が、強く脈を打つ。

――もしかして。

そう思いかけた、その瞬間。

松澤は、わずかに眉をひそめた。

まるで、何かを見てしまったような。
あるいは、気づいてしまったような、微かな表情。

しかし、次の瞬間には、何事もなかったように廊下の先へ歩いていく。

白衣の背中は、振り返らない。

幸子の胸が、小さく跳ねた。

今のは……気のせい?

それとも……。

一瞬だけ浮かびかけた期待が、すぐに自分の中で打ち消される。

(……違う)

きっと、見られていたのは“自分”じゃない。
ただ、そこにいたから、目が合っただけ。

あるいは、さっきの会話を、聞かれていたのかもしれない。

そう思った途端、胸の奥がじわりと冷える。

(恥ずかしい……)

幸子は胸のざわめきを押さえ込むように、小さく息を吐いた。

そして、何もなかったかのように、再び受付の仕事へ戻る。

病院では、松澤は冷たい医師。
そして自分は、ただの受付事務。

住む世界が違う。

昨夜の出来事は、やっぱり夢みたいなものなのかもしれない。

――そう、思っていればいい。

自分に言い聞かせながら、幸子は視線を落とした。
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