恋の雨が降るとき 〜クールな外科医は甘く囁く~
翌朝、病院の職員通用口をくぐった瞬間、幸子は足を止めた。
昨日と同じ朝のはずなのに、院内の空気がどこか浮ついている。
廊下のあちこちで交わされる声が、妙に耳についた。

理由は、すぐにわかった。
断片的に耳に入ってくる言葉が、すべて同じ方向を指していたからだ。

「松澤先生、理事長の娘さんと、縁談あるらしいよ」

「え、やっぱり?」

「外科の先生たちも知ってるって話だし」

断片的な会話だけで、十分だった。

幸子は何も言わず、更衣室へ向かう。

平静を装いながら制服に着替え、いつも通り受付へ入る。
けれど胸の奥には、小さな棘のような違和感が残っていた。


「デートしてるの見た人もいるんだって」

「もうほぼ決まりみたいな話らしいよ」

「そりゃそうでしょ。あの松澤先生だよ?」

「理事長の娘さんか……やっぱハイスぺだよね」

そんな言葉が背中越しに聞こえる。

幸子は黙ったまま席につき、書類を整えた。

昨夜の時間を思い返す。

優しく声をかけてくれたこと。
料理を選んでくれたこと。
自然に隣を歩いてくれたこと。

けれど、あれは、自分だからではない。

松澤は、誰に対しても誠実に接する人だ。
相手が理事長の娘でも、自分でも、きっと変わらない。

そう考えたほうが、ずっと自然だった。

胸の奥が、静かに痛む。 
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