思い出せない恋人より、忘れられない人がいる ――記憶喪失の秘書は冷徹社長に溺愛される
それ以上そこにいることができず、私は頭を下げて部屋を出た。

ドアが閉まる直前。

「余計なことを言うなと言ったはずです」

社長の低い声が、かすかに聞こえた。

廊下に出た途端、胸がざわつく。

さっきの言葉。

“せがれのことだけ忘れている”

――どういう意味?

足が止まる。頭の中で何度も繰り返すのに、答えは出ない。

それなのに。なぜか――

胸の奥だけが、真実を知っているみたいに痛んだ。

廊下を歩いていると、ふと足が止まった。

角の向こうから、ひそひそとした声が聞こえてくる。

「ひどいよね。社長のことだけ覚えてないなんて」

「……ほんと。あんなに仲良かったのに」

胸が、どくんと鳴る。

思わず、その場に立ち尽くした。

「俺だったら、耐えられないな」

「ね。社長もよく側に置いておけるよ」
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