思い出せない恋人より、忘れられない人がいる ――記憶喪失の秘書は冷徹社長に溺愛される
怖いはずなのに。

どうしてか、逃げたいと思わない。

むしろ、もっと近くにいたいと思ってしまう。

「……社長」

かすれた声で名前を呼ぶ。

その瞬間、腕に込められる力がわずかに強くなる。

「俺を選べ」

真っ直ぐに、言い切る。迷いのない言葉。

「千紗」

呼ばれるだけで、心が揺れる。

その熱い視線から、目を逸らせない。

逃げられない。逃げたくない。

理屈も、状況も、全部分かっているのに。

それでもこの人を、選びたい。

「……私」

小さく息を吸う。

胸の奥にある感情を、言葉にしようとして――

もう、止められなかった。
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