完璧な上司に飼われてます! 〜ズボラ女子の居候日記〜【長編版】
 小型のミラーレス一眼を手に、私は厨房へとお邪魔した。
 橋場さんが立ち位置や動きの指示を出し、それに合わせておじさんが手を動かす。

 フライパンを振り、卵液を手早くかき混ぜる……その瞬間を逃さないよう、私は息を詰めてシャッターを切った。
 撮れた一枚を確認し、橋場さんに画面を向ける。
 橋場さんはじっと見つめた後、満足そうに「よし」と声にした。

「もういいかな? もうすぐできるから、席で待ってて」

「はい、ありがとうございます」

 橋場さんは厨房で軽く一礼し、私たちは元の席へ戻った。
 その頃には、濃厚なハヤシソースの香りが店内中に広がっていた。

 ああ……すごくお腹が空いてきた。

「はい、オムハヤシ。ウチの“愛され一品”だよ」

 にこやかな笑顔で、おじさんが二つのプレートを運んできてくれる。
 二人分、作ってくれたんだ……。
 この人、本当にどこまでいい人なんだろう。

 橋場さんは少し恐縮した様子で頭を下げた。

「ありがとうございます。二人分もいただいてしまって……」

 私もつられて、申し訳なさそうに会釈をする。

「いいのいいの。遠慮せず、食べて食べて」

「あ、ありがとうございます。その前に……石田、カメラだ」

 言われて我に返り、テーブル中央にオムハヤシを置く。
 レフ板を使い、立体感が出る角度を探しながら何枚かシャッターを切った。
 スプーンで持ち上げて撮ったりもした。
 すぐに橋場さんが流れるように画面を確認し、短く告げる。

「……よし、オーケーだ」

「それじゃあ、冷めないうちにいただきます」

 橋場さんの声に合わせ、私もひと口をパクッといただく。

「あぁ……卵がトロトロ……」

 ひと口頬張った瞬間、自然とそんな声が漏れた。
 スプーンを運ぶ手は、止まる気配がない。
 それにしても、これほど濃厚なのに重さを感じさせないハヤシソースなんて、今まで食べたことがない……。

「このソースですが、クラシックな重厚感の中に、現代的に好まれる軽やかさが共存しているように感じます。このバランスは、昔から変わらないものなんでしょうか?」

 橋場さんの問いは、私の直感的な感想よりも、ずっと深く、鋭かった。
 同じようなことを感じてはいるのに、私はここまで言葉にできない。
 もしかして今……橋場さんの真骨頂を目の当たりにしているのかもしれない。

 おじさんは「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりの表情を浮かべ、楽しそうに語り出した。

「実はね、これ、オープン当初から味はほぼ変えていないんだ。君の言う通り、濃さと軽さの絶妙なバランスこそが、人気の秘訣だと思ってね。ウチのオムハヤシの個性を出すために、毎晩毎晩、研究を重ねたんだよ」

「なるほど……時代が、追いついてきたという感じですね」

「そう! まさにそれだ!」

 おじさんは声を弾ませ、少年のような笑顔で橋場さんを指差した。

「いやぁ、嬉しいな。ウチの狙い通りの感想を持ってくれて」

 この瞬間、はっきりとわかった。
 江本さんよりも冷静で、どこか機械的に見える部分はあるけれど……それでもここまで高い評価を受けている理由。

 それは、圧倒的な洞察力と、味を正確に言語化する力。
 橋場さんは、間違いなく“仕事ができる人”なんだ。
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