完璧な上司に飼われてます! 〜ズボラ女子の居候日記〜【長編版】
「……す、すいません」

 小さく謝ると、その言葉は冷えた空気に飲まれていった。
 橋場さんは何も答えず、残っていたお茶を静かに啜っている。
 私も合わせるようにお茶を口にしながら、視線を下げた。
 それでも橋場さんの視線が、時折テレビに戻っているのが横目でわかってしまう。

 やっぱり、あのインフルエンサーのファンなのかな……。

 私もテレビに目を向けると、まだあの女性が映っていた。
 画面の右上に表示されている名前が、おそらくあの人の名前だろう。
 小さくてはっきりとは読めないけれど、カタカナ表記なのはわかる。

「エマリ……」

 ぼんやりとしか見えないカタカナの名前を捉えた、その瞬間だった。
 ちょうど料理コーナーが終わり、画面が切り替わる。
 同時に、橋場さんがふっと一つ、息を吐いた。

「よし、それじゃあ……仕事に戻るとするか」

「あ、はい……」

「朝はパン、昼は定食ときたら……夜は麺にでもするか」

「そ、そうですね」

 トレイを返却口へ運びながら話す橋場さんの口調は、さっきまでの刺々しさが嘘みたいに、柔らかくなっていた。

「これで、午後からも頑張れるだろ?」

「え? あ、はい」

「三食食べるというのはな……心身のパフォーマンス向上に繋がる。石田のどうでもいいやみたいな精神も、この健康的な生活で改善される」

「は、はあ……」

「だからな、規則正しい毎日っていうのが、石田にとって……」

 エレベーターに乗ってからも、橋場さんは熱心に語ってくれている。
 正直……内容はほとんど頭に入ってこなかった。
 さっきテレビに映っていた『エマリ』という女性のことが、頭から離れない。

「あの……ちょっとお手洗いに」

 そう告げて、デスクに戻る前にトイレへ向かった。
 個室に入り便座に腰を下ろすと、反射的にスマホを取り出す。
 検索窓に『エマリ インフルエンサー』と打ち込んだ。

 あ……出てきた。

 表示された画像を見て、息を呑む。
 エマリさんの顔……改めて見ると、ものすごく綺麗だ。

 ハーフのようにも見えるけれど、プロフィールには純日本人とある。
 はっきりとした目鼻立ち、彫りの深さ、シャープなフェイスライン。
 透明感が際立っていて、画面越しでも存在感が伝わってくる。
 しかも、料理が得意。

 あの橋場さんが目を奪われる理由も、わからなくはない。

「え……」

 思わず、声が漏れた。
 プロフィールに書かれていた『尊敬する人』という欄に、『豊臣秀吉』の文字があったからだ。
 一瞬で、橋場さんの顔が脳裏に浮かんだ。

 これは……ただの偶然?
 気になり始めたら止まらなくなって、私はさらに情報を辿っていく。
 すると、ある一つの記事に行き着いた。

 ――エマリさんの料理現場を取材した、生活情報誌の記事。

 楽しそうに料理をするエマリさんの写真と、インタビュー。
 その記事の末尾に記された名前を見た瞬間、心臓がドクンと鳴った。

「え……この記事……」

 取材者名が『橋場 律人』となっている。
 確か橋場さん、月精社に来る前はフリーのフードライターだったはずだ。
 この二人の間に、何かしらの関係があったとしても……おかしくない。

 昼休みのあの態度を思い返しても、何かあったとしか想像ができない。
 そう思い至った瞬間、妙な胸騒ぎに包まれた……。
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