完璧な上司に飼われてます! 〜ズボラ女子の居候日記〜【長編版】
「明日の取材、石田が主導でやるんだぞ」

「え、私ですか!?」

 食べ終えた食器を片づけている最中、橋場さんからあまりにも唐突な指示が飛んでくる。
 考え事をしていたところだったので、驚きで声が裏返ってしまった。
 明日は確か……五反田にある蕎麦屋の取材だったはず。

「この前の取材で、俺のやり方は見ただろ? それを真似て、やってみろ」

「橋場さんみたいに、的確なコメントなんて言えますかね……」

「……まあ、無理だろうな」

「で、ですよね……」

 二人並んでキッチンに立ち、皿を洗う。
 私がゴシゴシと洗う手元を、洗い残しがないか確認するように、橋場さんがじっと見ている。
 この距離感、この体勢……最近、すっかりお決まりになってきた光景だ。
 最初は息が詰まりそうだったこの圧にも、少しずつ慣れてきた……。

 というか……できないとわかっていることをやれと言われても……やっぱり不安だ。

「なんだ、不安なのか?」

「そ、そりゃあ……橋場さんみたいに完璧にできないって、わかってますから……」

「完璧じゃなくていい」

「え?」

「最初から俺と同じようにできるとは思ってない。お前なりに考えて、どうすれば俺に近づけるか。それを試しながらやれ」

「……試す?」

 そんな器用なこと、私にできるんだろうか。
 橋場さんみたいな知識も、言語化の力も、今の私にはない。
 それをわかった上で試せって……相手のお店に、失礼にならないんだろうか。

「大丈夫だ」

 そう言って、橋場さんは私の手元から視線を外し、こちらを見た。

「失敗しても、俺がいるだろ?」

「橋場さんが?」

「ああ。フォローも謝罪も、一緒にやってやる。だから、心配するな」

 皿洗いを終えたと同時に、私は力の抜けた声で「はい」と答えた。
 蛇口を締め、手についた水を軽く払う。その動作の最中にも、明日の不安がじわじわと胸に広がっていく。

「ここまで言っても、まだ不安か?」

 あまりにも弱気な様子が伝わったのか、橋場さんは揶揄うように笑う。
 その態度にムッとして、私は少し強めに言い返した。

「……自信がないんです」

 唇を尖らせた私を見た瞬間、くしゃっと崩れていた橋場さんの表情が、ゆっくりと真顔に変わる。

「石田……」

「……え?」

 背の高い橋場さんの表情を確かめるため、私は自然と顎を上げた。
 澄んだ瞳が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 え……?
 これまでにない距離感に、心臓が一気に跳ね上がる。
 顔が、近い。
 あまりにも近くて、思わず目を閉じそうになった、その瞬間……ピタリと、橋場さんの動きが止まった。

「……オニオンソース、ついてるぞ」

「は、はい!?」

「そっちじゃない。逆の頬だ」

 言われた通り左手で触れると、指先にごく少量の茶色の水分がついた。
 一気に恥ずかしさが込み上げ、慌てて拭き取る。

「本当に……お前ってやつは……」

 呆れたように笑う橋場さんの顔は、不思議なくらい優しさに満ちていた。
 その表情を見ていると、さっきまで胸を占めていた自己嫌悪が、すっと消えていく。
 私のドジなところを、こうして笑って受け止めてくれる。
 この構図……光市と同棲していた頃にも、確かにあった。

「石田。お前には……お前の良さもある」

 真っ直ぐに言われて、息を呑んだ。

「だから、自信を持て。わかったな?」

「は、はい!」
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