完璧な上司に飼われてます! 〜ズボラ女子の居候日記〜【長編版】
 ――右手にぶら下げた、ケーキ箱。

 中で崩れたりしないように、平衡を意識して慎重に運ぶ。
 シンプルなショートケーキを二つと、あとはフォンダンショコラとスフレチーズケーキにした。
 ショコラとチーズケーキは、どっちか好きな方を橋場さんに選んでもらおう。

「ただいま戻りました……」

 鍵を開けて、家の中に入る。一歩入った瞬間、違和感に包まれた。
 あれ……橋場さんのスニーカーがない。
 橋場さんのルーティンとして、平日は黒の革靴を一足だけ出している。土日になると、それをしまうのが決まりだった。
 いつも休日は、代わりにスニーカーを出している。

 玄関を広く使いたいという、橋場さんのこだわり。
 だけど……そのスニーカーまで見当たらないとは……。

「どこに行ったんだろう……」

 せっかくこれから、一緒にティータイムでもしようと思ったのに。
 メッセージを送ってしまおうか……いや、もしかしたら仕事で外出したのかもしれない。
 もしそうだったら、邪魔をしてしまうことになる。

「掃除でもして、待ってるか」

 今日の掃除場所は……キッチンか……。
 ケーキを冷蔵庫に入れ、手を洗ってからキッチンに立つ。
 キッチンペーパーに除菌スプレーを吹きかけ、まずは拭き掃除。
 橋場さんから教わった通りに、隅の汚れまで取りこぼさないよう、丁寧に拭いていく。

「コンロ周りは、よく怒られるから……目を凝らさないと」

 手を抜くと、油の跳ねには人一倍うるさい橋場さんから、雷が落とされてしまう。
 洗剤を吹きつけ、乾いたキッチンペーパーでしつこいほど擦る。
 そのままの流れでシンクもブラシで洗い、排水溝には重曹とクエン酸を振り入れて発砲させた。

 よし……ヌメリ予防まで、完璧だ。

「こんなこと、スラスラできるようになるなんて……」

 大学生の頃の、一人暮らし時代を思い返す。
 あの頃の適当さは、まさに黒歴史だ。
 仲良くなったばかりの夏希が、初めて家に遊びに来ることになった日……散らかっていたものを、私はとにかく全部クローゼットに押し込んだ。

 完璧に隠した……はずだった。

 なのに、どういうわけか夏希は迷いなくそのクローゼットに手をかけて……次の瞬間、パンパンに詰め込んでいた荷物が、雪崩みたいに一気に崩れ落ちた。
 あの時の夏希の驚愕の表情は、今でも忘れられない。
 思えば、あの出来事がきっかけで、私たちはより打ち解けた気がする。

 実家という地獄から解放された私は、反動でとんでもないズボラ女子になってしまったと告げると、夏希は優しく受け止めてくれた。
 今が良ければそれでいいじゃないって、味方になってくれた。
 生きていて楽しいと思えるようになったのは……きっと、夏希のおかげだ。

「あの頃に比べて……だいぶ変わったな、私」

 夏希からも驚かれるほど、私のだらしなさが矯正されてきている。
 自己肯定感も上がるし、この居候生活は良いことだらけ。
 でも……自分が成長すればするほど、虚しくもなる。

 いけない……またネガティブ思考に陥るところだった。
 こんな表情、橋場さんに見られたら「暗い」と一蹴されてしまうだろう。
 ピカピカになったキッチンの前で、ぼんやりと立ち尽くしていると……玄関の方から物音がした。

「ん? 何だ、もう帰ってたのか」
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