完璧な上司に飼われてます! 〜ズボラ女子の居候日記〜【長編版】
「橋場さん、おはようございます」

「ん? あ、ああ、おはよう」

 始業開始時間の十五分前に、石田が出社してきた。
 ついさっきまで同じ家で顔を合わせていたというのに、会社では互いにそれを一切感じさせない。
 この関係性にも、すっかり慣れたものだ。

「この前取材した恵比寿の中華屋なんですが、新しくSNSを始めたみたいです。記事にアカウント情報を載せても大丈夫でしょうか?」

「ああ……そうだな。問題ない」

「かしこまりました」

 最近、石田と話すたびに妙に緊張してしまう。
 以前なら自然に返せていた言葉も、今は変に意識してしまって、頭の中で一度整理してから口に出していた。
 この変化に、石田は気づいているのだろうか……。

「あ、それと……今日はカナホリフーズとの打ち合わせがあるので、直帰します」

 カナホリフーズ……か。
 きっと沖浦編集長から振られた案件だろう。
 となると、今日は帰りが遅くなるな。

「諸々、了解した」

 石田は表情を変えることなく、自分の席へ戻った。
 張り詰めていた胸の鼓動が、ようやくゆっくり落ち着いていく。
 ここ最近、毎日こんな調子だ。
 社内だというのに、いつものモードに切り替えることができない自分が情けない。
 恋をすると、人間はここまで不器用になるのか……。

 パソコンの画面を見つめながら、俺はぼんやりと考える。
 いつ、石田に想いを伝えるべきなのか……。
 いい加減に行動しないと、前の彼のもとへ戻ってしまうかもしれない。
 きっと石田は、彼のやり直したいという想いを、保留にしているところだろう……。

「それでは、外出してきます」

 石田がそう言い残し、フロアから姿を消した。
 その声で、ようやく意識が現実に引き戻される。
 あれ……もうそんな時間か……。

 時計を見ると、まだ昼前だった。
 そんな長丁場になる打ち合わせなのか、カナホリフーズとの案件は。
 おそらく昼食を済ませてから向かうつもりなんだろうが、それにしては出るのが早すぎる気がする。
 妙に引っかかった俺は、気づけば沖浦編集長へ声をかけていた。

「沖浦編集長。今日の石田のカナホリフーズとの打ち合わせの件、聞いていますか?」

 デスクいっぱいに広げられていた資料をまとめながら、沖浦編集長は不思議そうに首を傾げた。

「カナホリフーズ? いや、私は知らないわ」

「あれ……編集長から指示が出ていたわけじゃないんですか?」

「前に石田さんと一緒に行ったグルメフェスで、向こうの広報と名刺交換したことはあるけど……」

「……じゃあ、石田が単独でアポを?」

 あの石田が、取材以外で自分から企業と打ち合わせを組むなんて……。
 成長しているとはいえ、まだ与えられた企画をこなすので限界なはず。
 ふと、石田のデスクを見てみると、沖浦編集長のデスク以上に大量の資料が積み上がっていた。
 ファイルもメモも無造作に置かれ、あちこちに付箋が飛び出している。

 デスクは綺麗に使えと、いつも口酸っぱく言っているのに。
 こういうところは、まだ全然改善されていないんだな……。
< 67 / 79 >

この作品をシェア

pagetop