悪辣魔王の腕のなか
「前に話したイタリアン。今週末辺り、どうかな? 衣都ちゃんと行きたくて」

 ズイッと距離を詰めて、彼が言う。

(気さくで優しい先生だけど、こういうのはちょっと困る)
「え~っと、今週末は父と約束があって」

 大事な取引先の先生なので露骨な態度はとらないけれど、衣都はわりと素直なタイプなので隠そうとしても顔が引きつる。でも彼は、ちっとも気づいていない様子だ。

「じゃあ来週末は?」
「すみません。お誘いはありがたいのですが」

 今度はきちんと伝わるよう、きっぱりと拒絶の意思を示した。笑顔は崩していないけど、内心では少しムッとしたのだろう。篤之の声のトーンが一段さがる。

「もしかして、衣都ちゃんも柚木先生狙い?」

 その口ぶりから、彼の差す『柚木先生』は奏真ではなく響司のほうだと察しがついた。
『柚木先生』の音にかすかな嫌悪感がにじんでいたから。
 ふたりが実績を競い合うライバル関係にあるのは、操から聞いて知っていた。篤之からすると、三つも後輩の響司がその争いで優位に立っているのは、おもしろくない状況らしい。

「オススメできないな~、柚木先生は。女性関係もいい話は聞かないよ。僕も泣かされてるナースや受付の子を何人も見てきたし」

 篤之自身にも似たような噂が流れているけれど、案外と本人は知らないのかもしれない。

「いえ、狙ってなんか……」

 音もなく距離を詰めてきた篤之が耳元でささやく。
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