推しの妻になりました〜アイドルと契約結婚〜
第28話 暗闇からの刺客

オフが明け、仕事に向かう苺依。
昨日の映画は最後まで観たけど、内容はほとんど覚えていなかった。
変わりに思い出すのはTOMAのことばかり。
しかも思い出しては頬が緩んでしまう。
「だめだ、仕事しよう。思い出さないようにしなきゃ」
ホテルの制服に身を包み、いつものように背筋を伸ばした。
しかし、出勤した苺依を待っていたのは、ロビーを包む異様な緊張感だった。
「高階さん、ちょうど良かった。5002号室スイートのお客様が君を専属に……と」
上司の言葉に、苺依の心臓が嫌な跳ね方をする。
5002号室……それは、かつて紗良が苺依を呼び出した、あの部屋だ。
不整脈のような鼓動を抑えながら重厚な扉を開けた。
その瞬間、漂ってきたのは、冷たく澄んだシトラスと煙草の香り。
奥へと進むと窓際でチェスボードを眺めていた一人の男。
仕立てのいいスリーピースのスーツを完璧に着こなし、指先を動かす仕草には吐息が出るほどの気品が漂っていた。
「……お待たせいたしました。本日、専属コンシェルジュを務めさせていただきます、高階です」
苺依が深く頭を下げると、男はゆっくりと顔を上げた。
「……君が、高階苺依さんか」
男がゆっくりと立ち上がる。
涼しげな目元に理知的な光を宿した瞳と一切の乱れがない髪。
「初めまして。久賀律人(くがりひと)だ。紗良から聞いていた通り。非常に『興味深い』目をしているね」
すべてを凍りつかせるような笑顔は目が笑っていない。
(……紗良様)
苺依の背筋に冷たいものが走る。
久賀は苺依との距離をゆっくりと詰めると手をそっと取り、その指先に軽く唇を寄せた。
「っ!」
声にならない悲鳴が出た。
喉の奥でひゅっ、と空気をのむ。
「ふっ……そんなに怖がらないで」
その紳士的な行動とは裏腹に、獲物を追い詰めるような眼差し。
苺依の胸元のネームプレート見て、指先でなぞった。
「っ…………」
苺依は思わず一歩下がる。
だが、久賀の瞳に宿る知性的な光は、逃げ道を塞ぐように苺依を射抜いていた。
「紗良が君を排除したがる理由がよく分かったよ」
「……なんでしょうか」
つとめて冷静な対応をしようと心がける。
「君が紗良の目的のお邪魔虫ってことだよ」
「お邪魔虫……私、がですか?」
「そ。君がいると、僕たちの描く『完璧な筋書き』が狂ってしまうからね」
久賀は楽しげに、しかし瞳の奥は笑わずに続けた。
「……悪いが、このゲームに観客はいらないんだ。君には退場してもらうよ」
苺依は直感した。
この男は、今までのどんなトラブルよりも、自分とTOMAの関係を根底から揺るがす存在だと。
――To be continued