ひとつの秩序
「南、この案件は片倉じゃないメインデザイナーの下に入ってもらうから」
「っはい」
莉子の会社で行われる、毎週の定例ミーティングでは、各自進捗報告をしたり、軽い共有をしたり、新規案件の説明があったりする。いつもの調子で画面を見つめていた莉子は、急に名前を呼ばれて背筋が伸びる。
「えー、老舗企業のリブランディング兼、新拠点の立ち上げプロジェクトの依頼です」
全体を取りまとめるデザイナーの共有を、資料と合わせて把握していく。
創業五十年以上の、老舗茶舗。
地方都市発祥で、元々は日本茶やドクダミ、焙じ茶などの和漢素材を扱っていたが近年はノンカフェインや体調、気分別のブレンドの茶葉なども拡張している。
今回は「気分で選ぶハーブティーシリーズ」を主力に、ロゴの刷新、パッケージ再設計、実店舗の立ち上げ、展示や体験スペース、WEBまで一式を任される大きな案件だ。
今回は佐伯という違うデザイナーと組むことになった。
片倉よりも三年先輩の、あまり莉子は一緒に仕事をしたことがない男性だ。
メインデザイナーは責任者のような立場で、クライアントとの交渉役やスケジュールや予算の調整を行い、その下に着く莉子は、ムードボードと呼ばれる世界観を共有するものや、色やその役割を決めるカラースキームなど、ざっくり言えば、全体のデザインを任される形になる。
【南さんよろしくね。とりあえず、明後日キックオフミーティングがあるから、それまでに内容は把握しておいてね】
【承知いたしました】
定例ミーティング後、一緒に組む佐伯からチャットと共に資料が共有され、自分の中でイメージや展開などを膨らませたり、参考になりそうなものを社内フォルダから探し出しておく。
「南、若い視点で見てほしいってことと、資料が分かりやすくて温度があるって評価されてのここだからね、チャンスだよ」
その日の昼、画面を見つめる莉子に対して、静が通りすがりに肩を叩き、囁いてくる。期待されていることがわかり、プレッシャーと共にやる気が出てくる。
隣の片倉をチラリと見ると、片倉もこちらを見ていた。
目が合うと思っていなかった莉子は、へらりと笑った。片倉もそれを見て優しく微笑み返し、再度画面に向かった。
「今まで、かなり片倉先輩に頼ってたんだな…」
気分転換にオフィスを出てコンビニに向かった。
外には出たい、けれど早く戻って仕事のことを考えたい。
コンビニの軽快な音楽と共に扉が開き、暖かい店内に入る。
先ほどのメインデザイナーとの会議の内容が、ぼんやり頭に浮かんでは消えていく。
今まで大きな案件は片倉と組んでいたため、今後の流れや指示なども分かりやすかったが、上が変われば指示もイメージも共有も変わる。
今回も今までも、役割や任せられることとしては大きくは変わらない。
ただ、片倉はかなりクライアントの要望や雰囲気の方向性を言語化して、莉子にわかりやすいようにしてから下ろしてくれていたんだということを、他の人と組むと実感する。
『南、これってどういうことか分かる?』
一旦立ち止まらせてくれて、考えるタイミングを作ってくれていたし、
何より隣にいてくれて、根気よく修正にも付き合ってくれていた。
大丈夫、できるよと励ましてくれていて、いてくれるだけで安心できる存在で、励みになっていた。だから好きになった。
佐伯から飛んでくる指示はクライアントの言葉寄りで、莉子はそれを自分なりに噛み砕かなくてはいけない。方向性、色、客層、求められているもの、全てを自分で把握した上で、雰囲気作りからしていかなければいけない。
ただの画像だけではなく、店舗や新しいイメージなど、莉子の考えたものが全てに伝わっていくのだ。
片倉と組んでいた時よりも、数倍考えることが多い。
自分なりに考えなければいけないことが、とても多い。
それは、片倉が今まで方向性を示してくれていたからだ。
今回片倉と組まされなかったのも、そこから卒業しないといけないということなのだろう。今までが甘やかされていた。
「ふぅ…」
思っていたよりも時間もかかりそうだ。
莉子は残業用にと、おにぎりを一つ追加で購入した。
チームが組まれてからは、会議と、個人作業と、また会議の繰り返しだった。
遅くまで残業して考えて、キーワードや色や雰囲気、さまざまなものを繰り返し思いついては決して、練っていく。
片倉は莉子を気にするそぶりを見せてはいたものの、何か言うことはなかった。
莉子より先に帰ることもあったが、「お疲れ」そう一言だけ残して帰っていった。
それが寂しくもあり、莉子を奮闘させた。
そうしてクライアントとの二回目の会議、世界観の説明を任せるからねと言われていて、莉子は緊張していた。
会議室には少し緊張が走り、プロジェクターには莉子の作成したムードボードが、メインデザイナーが進行していた。
「じゃあまず、南がまとめた世界観から説明します」
一瞬、莉子に視線が集まる。
莉子は息を軽く吸って、話し出す。
「今回は、生活に自然に馴染む新しさを軸に考えました。特別な時よりも、日常に寄り添ってきたと思ったので、色味は派手さを抑えて、触った時に暖かさを感じるような素材感を意識しています」ーーー
「いい反応だったね」
会議が終わり、佐伯が莉子に笑いかけて去っていった。
クライアントの反応は良かった。
「いいですね、わかりやすいです」との言葉ももらえた。
ちゃんと、伝わった。
わかりやすいっていう言葉が、自分で説明して得られたその反応が、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
片付けをして自席に戻り、開きっぱなしになっていた資料と、参考にと用意していたたくさんの画面のタブを閉じた。
スマホを開くと、加瀬からメッセージが届いていた。
タンブラーに残っていたコーヒーを飲みながら、莉子は画面を開く。
【終わったら美味いもん奢るわ】
【お祝いしよ】
【今は返さなくていいから】
お祝い、って。
まだ何も終わっていないのに。
加瀬の頬にふわりと当てられて離れていった髪の毛が、俯いた莉子の顔にかかる。
もうそこには熱などないはずなのに、頬が少し緩んだのは気のせいだ。