ひとつの秩序
 
 
 
電話していい?


次の日、今日は加瀬が遅くなるということで特に会ったりはしなかったが、莉子が軽く夕飯を済ませて部屋でテレビを見ていると、加瀬からメッセージが入った。

いいよ、とすぐに既読をつけて返事をすると、数秒後には画面が切り替わり着信を知らせた。

『おつかれ』
『おつかれさま。どうしたの?』
『んー、何となく。忙しかった?』
『大丈夫。ダラダラしてたよ』

前は、手土産の話をしたな。その時のことを思い出して、まだ一ヶ月くらいしか経っていないにも関わらず懐かしく思う。その時とは、随分色々と変わってしまった気がする。

『そういえば、出張入った、一週間』
『そうなんだ、大変だね』
『しかも急に決まって、二日後から。今日からそれの準備でバタバタ』
『そんな急に決まるんだ。どこで何するの?』

今まで加瀬の話から、出張なんて話は聞いたことがなかった。
スポーツメーカーとの案件とかも、今後あるかもしれないなーなどと思いながら、莉子は加瀬に率直な疑問を投げかけた。

『福岡。アスリートの合宿について行って、実地テストとフィードバック回収したり、向こうの工場の人と回ったり』
『へぇ、スポーツメーカーだもんね』
『そう、研究所の人も来てそれなりに大掛かりだわ』

あ、足の爪のネイルがそろそろ伸びてきているなー、次のジェルの予約と一緒に足も頼まなきゃなー、冬って足出すことないからなー、無しにしてもいいんだけどなー、そんなことを同時に思いながら、テレビを切ってスピーカーで加瀬と話し続ける。

『だから、週末空けといてって言ったの、次の週にリスケしていい?』
『そっか、全然いいよ』
『俺の家もまた今度だな』
『別に楽しみにしていませんけどー』
『アイスの話をしただけですけどー』

加瀬の言葉に、少し間があいた。
莉子は先ほどよりも少し低い声で返す。

『…うるさいな、とにかく、気をつけて、頑張ってね』

墓穴を掘ったような気がして少しだけ気まずい。
電話で聞く加瀬の声は、いつもと違って聞こえて、少しだけ新鮮で、違和感を感じる。

『ありがと。寂しい?』
『…今までも、一週間会わないことなんてあったじゃん』
『うん、俺が寂しいだけ』
『…また、そうやって』
『今は困ってないでしょ』

少しおどけたように言う加瀬の言葉に、莉子は思わず笑う。
真剣なようで、冗談めいていて、でも、本心。
それが心地よくて、恥ずかしくて、加瀬を意識せざるを得ない、正体なのかもしれない。






仕事中も、それなりにメッセージが来る日はあるのだが、次の日はあまり来なかった。出張の準備で忙しいのだろう、そう思って、つい見ていたスマホをポケットに仕舞う。

無意識に、右隣の片倉の方を見る。

片倉は、私的なメッセージなどは送ってこない。
アカウントはもちろん知っているが、そういったやりとりはしたことがない。
日常に侵食してくるのは、いつだって加瀬だ。

だって先輩には、彼女がいる。
距離を置いていると言われてからしばらく経つし、もうもどったのかもしれない。
どっちみち、別れていない以上、私には関係ない。

だから、余計なことは、考えなくて済む。
なのになんで私は、いつまでも先輩を意識してしまっているんだろう。

抱きしめられたから?頬を触られたから?
それとも、今も、好きなのかな?

分からない、自分の気持ちにずっと、モヤが掛かったようだ。
デスクの下で、足を組み替えた。そのまま椅子にもたれかかると、メッシュの背もたれがきしんだ。今日は、もう帰ってしまおうかな。そんな莉子の脳内を読み取ったかのように、片倉が話しかけて来る。

「もう帰る?」
「はい、定時で帰れる時に帰ろうかなと」
「はは、それが一番いいね。俺も帰ろうかな」

片倉はそう言って伸びをした。
まだ帰ろうと決めていたわけではなかったが、片倉にそう言った手前、もう帰ってしまおう。残りの仕事もまだ余裕があるし、明日ゆっくり取り掛かっても遅くない。背もたれにかけていたマフラーを取り、帰りの支度を始めた。

「帰ろっか」
「はい」

何となく一緒に帰る支度を始めたので、そのまま駅まで一緒に歩いた。こう言うことは、前からよくあった。

「今日はまっすぐ帰るの?」
「?はい」
「…友達は?」
「と、もだちとは、今日は会わなくて」

加瀬のことを、知られているみたいだ。そんな訳ない。この二人に、繋がりなんてない。加瀬の存在を、話したことすらないのに、何でこの間から、なんか…。

そんなこと思いながら歩いていると、駅のエレベーターに着き、片倉とはここでお別れかなと思いきや、片倉が隣にいるので、不思議に思って莉子は問いかける。

「バスじゃないんですか?」
「うん、今日は、ちょっと。乗り換えの駅まで一緒」
「久しぶりですね」
「…南、この後……いや、ごめん何でもない」
「はい…」

エレベーターが到着し、地下行きのボタンを押しながら莉子は返事をした。
何だろう、誘われ、かけたよね?なんか相談?仕事の話、なら、さっき出来たはずだし…いや、もう変に考えるのは辞めたんだった。考えない、今日は、まっすぐ帰って、私もちゃんと料理しようかな。

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