ひとつの秩序
 
 
二月の午前中、商業施設のガラス張りの通路には、ゆるやかな空気が流れていた。開店前で人もまだ居ないため、自分の足音が少し響く。

外から差し込む自然光が、通路の中央に白い帯を作っている。
展示スペースに一歩足を踏み入れた瞬間、莉子は無意識に立ち止まった。
 
「なるほど…!」
「そう」

思ったよりも、光が強い。
ガラス越しに差し込んだ陽が、壁際の什器をなぞるように移動していく。

棚の中央に置かれたサンプルの箱。
ロゴ部分に施された箔押しが、角度によってふっと表情を変えた。

莉子が一歩近づくと、金箔のラインが、きらりと瞬いた。

「わ…すっごく綺麗…!」
「分かるでしょ」

静は満足そうに頷いた。

「先方、これ相当気に入ってたのよ」

莉子は棚の前でしゃがみ込み、光の当たり方を確認する。朝と昼で、見え方が違う。
ほんの少しの角度で、印象が変わる。

「南が推してた箔押し、コストかかったけどやって良かったね」
「はい…!この施設の雰囲気に、合うと思って」

百貨店ほど気張ってない、メインは若い女性や、立地的に観光客、ふらりと訪れることが多いこの場所を、少し格上げしている。

「そういうところ、分かってて偉い」
「嬉しいですーっ!」
「っふ、可愛いねえ」

静は莉子の肩を軽く叩いた。

「それが一番難しくて、南はそういうのが上手いのよ」
「ありがとうございます…!」

莉子は立ち上がって、展示全体を見渡した。
嬉しい、嬉しさが、胸の奥から立ち上がって、キラキラ頭の中で輝いていく。
自分が作ったものを、静が更に格上げしてくれて、配置や光や、客層を計算して、そうして考え抜かれたものが出来上がって、手に取られて、売られていく。
すごい、素敵で、私はこういうのが好きだ。

「で」

一呼吸置いて、静は視線を逸らさずに言う。

「何があったの?」
「…なんで分かったんですか」
「分かるわよ」

展示の前を歩きながら、静は指を折る。

「金曜の朝、あんたは必死だった、で、片倉と二人打ち合わせで出て行って、今までなら月曜の朝その続きやりたいじゃん。なのに急に月曜外出ついて行きたいって」

肩をすくめる。美人がやるとコミカルな動きすらも絵になる。

「変すぎ」

莉子は思わず苦笑する。人のことはどうでも良さそうなのに、すごく観察しているからこそ、細かいところにきっと気づくんだろうな。

「でもまぁ、そろそろ任せていこうと思ってたし、ちょうどよかったけどね。今度、私と一緒に配置組むとこ、やってみる?」
「…やりたいです!」

莉子の声が弾む。静はそれに笑って、肩を叩いて莉子を促した。いつの間にか開店していて、展示スペースを覆っている幕の奥からは、静かなざわめきが始まっていた。

「あんたのそういうとこよ」
「なんですか?」
「打てば響く、反応が可愛い、手かけた分、ちゃんと育つ」

静は悪戯っぽく笑う。
差し込んでいる冬の光は、思ったよりも白くて、柔らかい。
床のタイルに反射して、足元がほんのり明るい。

「育てがいがあるのよね、年上に可愛がられるタイプ。得ね」
「……うへへ」
「片倉も、そういうところが堪んないのよ」

先輩先輩って、可愛いったら。分かるわー、と眉を下げて、仕方がないかのように頷きながら静が言った。この話から片倉の名前が出てくるとは思わず、莉子は固まる。

「あの、片倉先輩って、彼女と別れてないですよね…」
「さぁ。教えてくんないんだもん、あいつ。で、何があったの?」

莉子は一瞬、視線を落としてから、金曜の夜のことをぽつぽつと話した。
展示スペースには、幕が引かれていて、一般客からは見えないようになっている。作業用にか隅には椅子が置かれていて、静と莉子はそこに腰掛けた。

「っかー!複雑!翻弄されてて最高!楽しそう!」
「楽しくないですよ!もう、私毎回、こんなふうになって…」
「いいじゃん、よくわかんない片倉より、その加瀬って子にいけば」

何がダメなの?と静は言う。
スペースの隣にある自動ドアが開くたびに、冷たい外気が一瞬入り込み、すぐに館内の暖かい空気に溶けていく。

「ダメとかじゃないんです、ただ…なんかずっと友達だったから、怖いんです」

急に加瀬だけが変わって、私、それに同じ速度でついていけなくて、何でいきなり変わったのか。何で、そんなに私のこと…いつから?とか、ずっと、そうだったのかとか。
ぽつりと溢れるように、莉子の口から出た言葉たち。
心の中でも自覚してなかった言葉たちが、静の前だとあらわになっていく。

「聞けば?」
「え?」
「聞けばいいじゃん、そのまま」
「そうです…ね」

あっけらかんと、静が言う。あまりにも当たり前のように言われるそれに、莉子は一瞬、身体が固くなる。

近くに置いてある養生テープに思わず目をやり、何となくそれを見つめながら返事をする。

「片倉にも聞けば?何で彼女いるのにそんなことするんですか、私のこと好きなんですか?って」
「そんな直球な、気まずくなるじゃないですか」
「だってもう気まずいじゃん、無理やり別の仕事組むくらいには」

言葉に詰まる。静の言う通りだ。

「加瀬って子のことは友達、片倉は彼女持ち、自分でそのレッテル貼ってるうちは動けないよそりゃ」
「はい…」

正論、すぎる。
何でこの人はいつも正しくて、眩しくて、本当にかっこいい。

何でこんなかっこいいこと言ってるのに、おしゃれな格好して、今日もヘアアレンジにスカーフが組み込まれてて、真似したくなるくらいなのに、

「待って、私口にミートソースついてない?」
「…ついてます、そういえば」
「あらやだ。朝ご飯ね」
「意外と朝からヘビーなもの食べるんですね…」

話しながらなんかカピカピすると思ったーと言いながら、静が指先で口元を拭って、テンションが一気にいつも通りになって、何でもないみたいに笑った。さっきまであんなにまっすぐで痛い話をしていたのに。

——話してみようかな。

胸の奥で、そんな言葉が静かに浮かんだ。決心とか、覚悟とか、そんな大げさなものじゃない。ただ、少しだけ前を向けた気がした。

片倉の顔を、今はまだ見たくなかった。
そのまま、事前に借りてあった商業施設内の打ち合わせ用の小さな部屋で資料を広げて、次の確認をしながら、そのまま一日を終わらせることにした。

白い壁と、均一な照明。
外のざわめきが、ガラス一枚隔てて遠くに聞こえた。
 
 
 

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