ひとつの秩序
 
 
 
三月下旬並みの暖かさです、朝晩と日中の寒暖差に注意してください。
そんな天気予報を横目に出勤した日、莉子の予定を伺うメッセージが加瀬から入った。

【今、そっちの会社の近くで打ち合わせ終わったんだけど、昼どう?】

ここ数日、前はそこそこ誘われていた夕食の誘いはない。
加瀬も忙しいのかもしれない。生姜焼きを食べたあの日のことがふと浮かぶ。

【いいよ、ちょうど出れる。何食べにいく?】
【品川に無さそうなもの】

加瀬の返信に口元が少し緩みながら、莉子はスマホだけを手に取って、オフィスを出た。
ガラスのビルが反射して、空気も軽い。
コートは会社に置いてきて正解だったなと思える。

「お待たせ。暑そうだね」
「なんで今日こんなあっついの。三月頭なのに」
「朝、テレビで三月下旬並みって言ってたよ」

スーツ姿の加瀬が、コートを腕にかけて指定したコンビニの前で立っていた。
こっち行こうと指を指して、莉子が歩き出すと加瀬が隣に並ぶ。

「ここにしよっか」

通り沿いにあるカフェは全面ガラスで、店内は明るい。
歩道に迫り出しているテラスには低く植物が植えられていて、通行人の気配を少しだけ隠す。

「こっちはこういう店、さすが多いな。俺んとこオフィス街だしこんな感じのないわ」
「でも安いでしょ?」
「まーな、千円以下で大盛り無料とかで、ありがたいな」
「だよねえ、そういうのは逆にないんだよなあ」

テラス席もお選びいただけますよ、と店員に言われ、この暖かさなら久しぶりに外でランチしても気持ちいいかも。とテラス席を選んだ。
すぐに水とメニューが置かれ、それを見ながら会話を進める。

テラス席の縁を撫でる風は、冷たくない。
かといって温かいわけでもなく、季節がこうして過ぎていくんだなと妙に感傷的な気持ちになる。

「せっかくだからオシャレなこのキッシュってやつにする」
「カレーとかもあるけど?」
「俺の会社の近くには無さそうだから」
「絶対に探せばあるって」

一番似合わないデリランチを頼むという加瀬に、莉子は笑いながら答える。
足りなくなりそうだから、あげる前提で私はボリューミーなものでも頼んでおこうか、などと思いながらメニューを見つめた。

「じゃあ私はパスタランチにしようかな、加瀬も食べる?大盛り無料だって」
「食べる」
「じゃあ大盛りにしよっと」
「さんきゅ」
「別に、また来ればいいのに」

店員の方を見ながら手をあげ、アイコンタクトを取りながら莉子は言う。
店員が頷いて移動している時に、加瀬はぽつりと言った。

「…一緒に?」
「えっ、う、うん」

じゃあ、また来たら声かける。
加瀬は視線をメニューに落とし、少し口元を緩めながらそう言った。店員がお伺いしますとテーブルの脇に立ち、莉子が何も返事をしないまま、その空間が過ぎ去る。

店員が去っていった後、莉子が数枚に分けられたメニューを重ねていると、その上に加瀬の手が置かれた。指先が触れる、というより、掌の面が重なる。ぴたりと莉子の動きは止まる。

「…昼休みって、短いよな」
「……そうだね」
「…この後、戻ってくんだろ」
「え?うん、加瀬だって戻るでしょ」
「先輩のとこ」

道路沿いに規則的に並んでいる木はまだ裸で、細い影をその足元に落としている。
握られている手は、テラス席を柔らかく覆う植物と明るい色の木材が隠していて、道路側からは見えない。

「そ、りゃ…同じ会社だもん」
「そうなんだけどさ。こういうところで積み重ねって来るよなあ」
「…加瀬とも、いっぱい、会ってるよ」
「…そうだな」

加瀬は少しだけ目を細めた。
眩しかったのだろうか。テラスの上に設置された薄い膜が、穏やかな風に揺られて音を立てる。

手の重なりがするりと音もなく解けた。
会社の近くだからと、莉子が言葉にする前に、加瀬が手を引いた。

「気分転換になった、ありがとな」

まだ頼んだ料理すら届いていないのに、別れ際のようなことを言って、加瀬が柔らかく笑った。










夕方から、片倉と一緒に、クライアントとの打ち合わせがあった。

今回は駅直結の商業施設で行う、短期イベントの空間構成の案件だった。
什器のサイズ感や導線、照明の高さなど画面越しでは伝わりづらいものの確認をしに行く予定だった。

「早速ですが、実寸の簡易模型です」

会議が始まってすぐにテーブルに置かれた模型は、白いスチレンボードで組まれたものだ。片倉は椅子を引いて立ち上がり、模型を覗き込む。

「高さ、これだと入ってすぐの視界に被りますね」
「ですよね」
「現場だと圧迫感が出そうですね」

片倉のやり取りを、莉子は隣で記録しながら必死に頭に入れていく。
淡々としつつもスピード感のあるやり取りについていくのに頭をフル回転させなければいけない。


「…今日はここまでで大丈夫そうですね」

先方がそう言って、会議室の時計を見ると十七時を少し過ぎていた。
一時間の予定が、細かい確認で少しだけ押してしまった。


ビルを出て、夕方の音と空気が流れ込んでくる。
昼より少しだけ冷えていて、でもまだコートを着るほどではない。

「戻りますか?」
「この辺、どっか入ろうか。時間もロスするし」

片倉は少し歩いた先のシェアラウンジがあると言ったので、二人でそこに移動した。中では同じようにパソコンを開いた人たちがいる中、奥の席に座った。

「じゃあさっき言われたこと、出して」

片倉は莉子が開いたパソコンの画面は見ずに言った。
なんとなく頭の中は整理されているみたいだった。

「思ってたより先方のイメージが攻めてたっていう印象でした」
「うん、それは俺も同じ認識。入り口強くしてほしいって言い方だったでしょ」
「はい」
「んー……これ、単純に入り口をどうにか足す話じゃないな」

片倉は椅子の背に体重を預けながら天井を見つめ、ぶつぶつと何かを考えながら口に出していく。
莉子も莉子で考えてはいるが、片倉から漏れ出る言葉にヒントがないかどうしても探してしまう。

「あー」
「?」
「待って、んー要するに…んー、…入り口と中を別として考えないでみて、中の要素を一個だけ前に持ってきてみようか」
「…なるほど」
「入り口で完結させないで続きがある状態にして、強いけど主役じゃないものにして、んーそうだなー…」

莉子に話しながらも自分も納得していくようだ。
片倉の考えていくスピードが早くて、今度こそ莉子はついていけない。

知識も思考も圧倒的に追いつかないこの姿がとても眩しくて格好良くて憧れで、莉子はいつもそれに胸が締まる。

「んー、やり方がなー…ちょっと明日に過去の参考になりそうなものを見るとしてー…」

そう言いながら片倉は莉子の画面のメモを覗き込んだ。
横並びで座っている場所では一気に距離が近くなるが、片倉は気にしていなさそうだった。

ぶつぶつと言葉を漏らしながら肘をついて、口元に手を当てながら片倉は画面を見つめる。ふわりと目にかかった前髪を莉子は見つめた。

格好いい。
心の中でその言葉がふわりと浮き出てくる。
入社した時からその姿を追っても、まだまだ追いつけなさそうだ。

「んー、ちょっと切り替えながら話そうか。南の考えも聞きたいし」
「はい」
「時間あればご飯でも行こっか。話したり違う空間見たり、色んな人を見るだけで視点が変わったりもするから」
「はい!」

片倉が立ち上がって動き出し、莉子もパソコンを閉じてカバンにしまう。
遠くでもリモート会議なのかボソボソと話している声がする。

追いつきたい、追いつけない。

片倉が少し振り返って、行こうと手で示した。
莉子は頷いて、その後を追った。
 
 
 
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