ひとつの秩序
 
 
 
 
「じゃあ、連絡するよ」

加瀬はそう言っていたはずなのに、次の日に莉子から送ったメッセージには既読はつくものの返信は来ず、その次の日になっても連絡は来なかった。

ぱたりと止まった連絡。
今まであったものが、急になくなる感じに、莉子は戸惑う。

でも、風邪は引いてないって言ってたし。
仕事が忙しいだけかもしれない。
そう思おうとしても、違和感は拭えない。

加瀬が思いを伝えてくれてから、五日。
こんなに連絡を取らなかったのなんて、初めてだ。

加瀬から好きだと言われたことなんて、もう頭からすっかり抜け落ちてしまいそうなくらい、それよりも、体調は大丈夫なのか。そんなことばかりが気になっていく。
あの日みたいに、遠くをぼうっと見ながら立ち尽くす姿が思い浮かんでしまう。

もう、嫌になった?

いつもよりスマホを気にしてしまう。
いつもメッセージが来る時間帯を気にしてしまう。
いつもの姿を思い浮かべてしまう。

お風呂に入る前に再度スマホを見つめても、なにも震えない。
無意識に時計を見つめると、もう二十一時を回っていた。

考えすぎかもしれない。
忙しいだけかもしれない。
疲れて寝てるだけかもしれない。

そう自分に言い聞かせながら、気づくとまたスマホを見ている。
つい電話をかける。コール音が数回鳴ったあと、切れた。

「え??」

ブツリと切られた画面には、通話がキャンセルされましたと表示されている。
そのまま画面を見つめていると、メッセージが来た。二日ぶりだった。

【いま出れない】
【ごめん。会社だった?】
【ちがう】
【家にいるの?】
【いる】

家にいるのに出れない?来客?二十一時に?
そして返信の雰囲気が、いつもよりぶっきらぼうな気がしてしまって、莉子は頭の中に思い当たる可能性を消すために再度電話をかけた。

【でれない】

コール音が一つ鳴った後、また電話が切れる。そして同じ内容が送られてくる。
こんなに早く返信を打てるくらい、早く電話を切れるくらいスマホを見ているのに電話には出れないっておかしくないか?

莉子はスマホを置いて勢いよくソファを立ち上がった。
ベッドの上に置いてあった、今日会社に着て行った服に再度着替え、玄関のハンガーからコートを取って羽織る。

やりすぎかもしれない、迷惑かもしれない、もうすぐ寝るのかもしれない。
でもこれで明日も連絡が来なかったら、私絶対、明日の仕事が手につかない。

財布と鍵とスマホだけをポケットに入れて家を出た。
近くのシェアサイクルに走って、加瀬の家に向かう。

なんでだろう、私いま、すごく加瀬に会わなきゃいけないと思う。










「…なんで、来たの」
「加瀬!風邪ひいてない!?」

ピンポーンと呼び鈴を鳴らすと、少ししてからドアの向こうから気配がした。
鉄の扉の向こうから、えっ、という驚く声がして、少しだけドアが開く。

「…ひいて、ない」
「嘘すぎ!声ガラガラじゃん!」

来る途中に買った薬やペットボトルが入ったビニール袋が、莉子の腕でカサリと音を立てた。
違ったら自分で使えばいい。そう言い訳して購入したものたちは、とてもこの状況に役立ちそうだった。

スマホで先ほど確認した時間は二十二時を超えていた。
観念したのかドアを開けた加瀬の顔は赤い。きっと熱もあるんだろう。

「…移るから、ごめんけど帰って」
「帰らない!上がる!上げて!」

加瀬がため息をついて、身体を引いた。
莉子が玄関にそのまま入ると、加瀬は後ろに下がって、玄関のケースからマスクをつけた。動きが妙に遅い。

「ほんとに移るから、送るから帰って」
「絶対熱あるくせに何言ってんの!」

加瀬は上下グレーのスウェットを着ていて、ベッドで寝ていたのか足元は裸足だ。壁に手をついて、もう片方の手は腰に当てていて、見るからにだるそうに感じる。

「…てか、歩いてきたの?この時間に?危ないだろ…」
「大丈夫!レンタルチャリで飛ばしてきたから!」
「そういう問題じゃなくてさ…こんな遅い時間に外出るなよ…」
「そんなことどうでもいいから!ちょっと入れて!」

加瀬の背中を押して、何回か歩いたリビングまで歩いて行く。
触れたところが熱い。素直に莉子に従う加瀬が、ぼそりと言った。

「なんで分かったんだよ…」
「明らかに変だったじゃん!メッセージすぐ返して家にいるのに電話出れないとか!」
「声聞かれたらバレるじゃん…」
「嘘つけないの?まぁいいよおかげで来れたから」

リビングに連れてきたはいいものの、寝室に戻した方がいいに決まってる。
ダイニングテーブルの奥には、まだ出してあるコタツ、向かいにテレビ、反対にソファが置いてある。
ソファの後ろは壁ではなくスライドドアになっていて、莉子が今まで来た時は閉められていた。

「熱何度?病院行った?」
「…知らん、体温計ない。病院も行ってない」
「はー、買ってきてよかった」
「え?買ってきたの?体温計?」

そのスライドドアは開けられていて、奥の寝室が視界に入る。
グレーのカバーがかかった布団は捲られていて、莉子が来るまでは寝ていたことが伺える。

「そうだよ、とりあえず熱測って、明日病院行くとして、風邪薬も買ってきたからとりあえず飲んで。熱も下がるかもだし」
「…サンキュ」
「はいこれお水。薬はお水で飲んでね。その後ポカリ飲んで。冷蔵庫開けるね!経口補水液入れておくから」
「うん…」

莉子が冷蔵庫を開けたり、袋から薬を出したりしている間も、加瀬はその場で立ち尽くしていた。いつもより虚な目で、莉子の動きをそのまま視線だけで追っていた。

「はい、薬。二錠だって」

薬を渡すと素直に水で飲む加瀬の姿を横目に、手に持ったスポーツドリンクをベッド脇に置こうかと思い、莉子は少し移動した。
見慣れたコタツを横切り、ベッドを目にすると、少しだけ近づくのに躊躇する。人のベッドルームに勝手に踏み入るのは少しだけ気が引ける。

「ここ、ポカリ置いておくから」
「んー…」

予防線のようにそう言って、莉子はすぐに寝室を後にした。
加瀬は買ってきた体温計を取り出し熱を測っていたようで、莉子は隣で様子を見守る。

「何度?」
「八度九分」
「うわ、早く寝な」
「うん、てか近い、移るから離れろ」

加瀬はそう言いながら自ら離れ、寝室に向かった。莉子はその姿を目で追う。

「ありがと、助かった、気をつけて帰って。チャリ爆速で漕いで」
「…加瀬が寝るまでいる」
「……じゃあ、鍵、玄関に置いてあるから、閉めたらポスト入れておいて。もう遅いから、マジで気をつけて帰って。送れなくて悪いけど」

加瀬はそう言って、寝室の扉を閉めた。
莉子はそれを見届けてから、他にも買ってきておいたプリンやゼリー、おにぎりなどを冷蔵庫に入れた。常温のものもあった方がいいかと数本、テーブルの上に水を置いてから、少し迷って、コタツに入った。せめて薬が効くまで、加瀬が眠るまではここにいたかった。

「…前から思ってたけど」
「ん?」
「簡単に、男の家に上がるなよ」
「…うん」

扉越しに、弱った加瀬の声が聞こえてくる。
莉子はソファにもたれながら、返事をした。

「…家にも、簡単に入れんな」
「……ごめん」
「…謝んなくていいよ別に、…弱ってる男の独り言だよ」
「……うん」
「…帰る時、気をつけろよ」
「…うん」

そうして加瀬は何も言わなくなった。
寝たのかもしれない。でも寝息が聞こえるまでは、まだここにいたかった。
扉越しに、加瀬の気配がする。

優しい。
自分が体調悪くても、何回も私の帰り道のことを気にして、勝手に来た私に、送れなくてごめんと謝る。

会えて嬉しいというくせに、私が混乱しているかもと連絡を控える。
私のところに雨の中来て、気づかないかもしれない連絡を一本だけ入れて、雨の中待って、それで風邪をひいても、私に気づかれまいとする。

どうして、こんなに私のことを考えて、尊重してくれるんだろう。

莉子はコタツの中で、膝を抱えて座った。
スイッチを入れたばかりのこたつはまだ中は冷えていて、布団もひんやりしている。

莉子は、膝の上に乗っている布団に、頭を乗せた。
ひんやりした布団からは、加瀬のいつもの匂いがした。


 
 
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