ひとつの秩序
 
 
 
 
 
「ここだよー!」
「へえ、初めて来た」

約束をしていた土曜日、加瀬と約束していた美術館を訪れていた。
公園の中にある美術館は、コンクリートでできた特徴的な形が印象的で、莉子は何度も訪れたことがある場所だった。

一歩ホールに入ると、丸くくり抜かれた壁の模様から太陽光が差し込んでいて、コンクリートの床に水玉模様を作っていた。
ひんやりとした静謐な空気の中に、埃の粒が光を浴びて、スノードームのようにキラキラと浮遊している。

「チケットはもう買ってあるから」
「え、ありがとう」
「全然だよ、付き合ってくれてありがとね」

今回の展示は、「残響する部屋」というもので、「人が去ったあとに残るもの」をコンセプトに掲げていた。今夏目と組んでいる、キャンドルの案件に参考になるかなと思ったものでもあり、空間展示が好きな莉子が、元々目をつけていたものだった。

「…すげえ」

最初の部屋に入ると、そこは真っ白な空間だった。
天井からゆっくり揺れる照明が垂れていて、床には透明のアクリル台が不規則に置かれている。
その上にはガラス、水などが置かれていて、光が揺れることで、そのものの影だけが動くように魅せられている。

「…これは、何?」

加瀬が、莉子の背後でぼそりと呟いた。
そういえば、コンセプトや展示内容について何も説明しないまま連れてきてしまったな、と思い出して、莉子は小さな声で加瀬に説明をする。

「残響する部屋って入り口に書いてあったでしょ。展示のコンセプトはね、人が去ったあとに残るもの。光、匂い、温度、音のテーマに分かれてるの。存在の余韻なんだよ」
「へえ…」
「ここは、光だね。真っ白にして、影が目立つようになってる。照明の当て方も工夫されてるんじゃないかな」
「ふーん…」

天井から揺れる照明のせいで、二人の影がアクリル台の上で重なり、ゆらゆらと一つに溶けては離れていく。

もっと色々突っ込んで聞かれるかと思っていたが、加瀬はそれ以上聞いてこなかった。そのあとは莉子の後ろをついて周り、莉子が展示に見入っている時には、ふといなくなって違う場所にいたりした。

早く行こうと急かされることもなく、莉子がもういいかな、と辺りを見回すと、ふらりとやってきた加瀬と目が合った。
スマホをいじることもなく、ぼうっと展示を見つめる加瀬が、印象的だった。
これなら、もっと早く美術館とか誘っても良かったかもしれないと莉子は思った。



じっくり展示を見て、莉子と加瀬は手を繋いでホールへと戻った。
午前中に差していた丸い光たちは、いつの間にか正午近くになっていて、消えていた。

「なんか買う?」
「ううん、今回はいいや」

ミュージアムショップを一瞥して、莉子は言った。
楽しかったな、事前に調べていたカフェでランチでも食べよう、そう思って加瀬の手を離してスマホを出した莉子の前に、ゆっくりと一人の人物が立ちはだかった。

「南さん?」
「あれ、夏目くん?」
「やっぱり!今日来るって言ってましたもんね!あっ、こんにちは!南さんの部下の夏目と言います!」
「こんにちは。加瀬です」

黒のピッタリとしたパンツに、春っぽい薄いグリーンのトップス、グレーのニットカーディガンを羽織った夏目が、にこにこと加瀬を見ながら挨拶をした。
加瀬もぎこちなく挨拶を返していた。

「僕、朝イチで来て、そこのショップ見てたんですよ!南さんも見終わりました?」
「うん、今出たところ」
「彼氏さんかっこいいですね、デートでこういうところ来るのいいなぁ、彼氏さんもデザインとか建築とかですか?」
「ううん、全然違うよ、私の趣味に付き合ってくれてるの」
「めっちゃかっこいいですね!最高な関係!」
「えへ、ありがとー」

加瀬は夏目に少し笑いかけると、「俺、ショップ見てるわ」と莉子に声をかけて離れていった。気を遣ったのだろう。夏目は少し戸惑ったかのように莉子に言った。

「大丈夫ですか?すみません、デートの邪魔しちゃって」
「全然大丈夫だよー、それより夏目くん、どうだった?」

数日前の昼休み中の雑談で、夏目とこの展示の話をした。
まだこの美術館に来たことがなく、でも気になっていたと言っていた夏目は、莉子の話にとても興味を持ったようで、絶対に僕も行きます、と言っていた。

そういえば、加瀬と行く日付も伝えたような気がするが、その話をしてからすぐの休みが今日だったので、日にちが被っても不思議ではない。

「すっごい良かったです、メモしまくりました」
「ね、参考になるよね」

夏目がポケットに入れていたメモを取り出し、パラパラとめくった。
仕事中にもたまに出てくるそれとは、表紙の色が違って新品のようだった。
熱心な夏目に、莉子も思わず笑みが溢れる。

「ちょうど煙の部屋があったじゃないですか、人が歩くと影が揺れて動いて…あれに香りがついてたら、まさに香りの体験ゾーンだなって思ったんですよ」
「そうだねぇ、でも煙は危なくて使えないからね」
「そうですよね…なんとかならないかな」
「足元見えないと危ないし、煙だと館側からの規制があると思うからね。火災報知器とかの関係もあるし」

夏目が少しだけ肩を落とした。
参考になるかもよ、と勧めただけだったが、メモまで用意して、何かヒントになればとの思いで一人でやってきたのだろう。行動力も、その熱心さが莉子は微笑ましい。

「南さんならどうするとか…ありますか?」

夏目が助けを求めるかのように、莉子に問いかけた。
そこまで展示内容を案件をリンクさせて考えていなかった莉子は、頭の中に光景を思い浮かべながら提案する。

「え?うーん…ああいう感じを出したいなら、上から細い布を垂らして、ライトで照らすとか?そしたら影が揺れて、ゆらめきを現せたりするんじゃない?」
「え!すごい!!さすがです!!」
「布を垂らせるかは什器の関係もあるし、そこは詰めないとだけどね」
「週明け確認したいです!あーやっぱり南さんすごい!」

夏目が興奮したように莉子を見てはしゃいでいる。
咄嗟に出した案だったが、そう言ってもらえて良かった、と胸を撫で下ろしていると、するりと背後にやってきた加瀬が、莉子にぼそりと呟いた。

「俺、ちょっとトイレ行ってくるから」
「あ、うん」

加瀬の背中をちらりと視線で追った莉子に、夏目が慌てたような表情を浮かべた。

「ごめんなさい!せっかくのデートだったのに話し込んじゃって」
「ううん、いいよいいよ」
「すみません、じゃあもう僕は退散します!彼氏さんにごめんなさいってお伝えください」
「うん、分かった、気をつけてね」

私の趣味に付き合わせたのに、そっちのけになってしまって申し訳なかったな。
莉子は加瀬が戻ってくると、急いで駆け寄る。

「ごめんね、加瀬」
「あれ?もう終わった?」
「うん、帰ったよ、放置しちゃっててごめんね」
「別にいいよ」

何とも思っていなさそうな加瀬の様子に莉子は安堵し、手を繋いだ。
加瀬が夏目を気にしていたことを思い出し、実際に見て何か印象の変化があったかもしれないと思い、問いかける。

「夏目くん、普通の子でしょ?」
「あー、うん」
「安心した?」
「まぁ、うん、莉子が言ってたことは分かった」
「良かった」

純粋に先輩として慕われているところを見せることになって、ある意味加瀬も安心したんじゃない?と考えながら、莉子は加瀬と美術館を出た。

「腹減ったー」
「ランチ行こ、調べてたとこ」
「うん、俺あのネットに載ってたローストビーフのプレートにする」
「決めるの早いよ」

加瀬の調子に莉子も笑い、莉子から繋いだ手が、指先まで絡まった。
そういえば、名前を呼ぶことを意識しようと思ったのに、先ほども無意識で苗字で呼んでしまったことを思い出した。
透真くん、と呼ぶべきか、透真、と呼ぶべきか迷いながら、莉子は歩く加瀬の肩に頭をすり寄せた。


 
 
 
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