恋が終わっても、人生は続いていく

第1話:距離のおかしい後輩



「先輩、それ違いますよ」

軽い声だった。

振り向くと、少しだけ笑った顔。

初対面にしては、距離が近い。



「……あ、ありがとう」

真波美海は、少しだけ戸惑いながら答えた。

入社してきたばかりの後輩。

名前は――新井玲央。



「ここ、こうした方が早いっす」

勝手にパソコンのマウスに手をかけて、

画面を操作する。



「……あ」

思わず声が漏れる。

確かに、その方が効率がいい。



「でしょ?」

得意げでもなく、ただ当然みたいに言う。



(なんだろ、この子)



違和感があった。



距離が近い。

近すぎる。



普通、新人ならもっと遠慮する。

もっと、様子を見る。



でも彼は。



最初から、

踏み込んでくる。



「先輩って、意外と抜けてますよね」



「……え?」



「いや、さっきのとことか」

軽く笑う。



失礼なことを言っているのに、

なぜか嫌な感じがしない。



(変な子……)



そう思いながら、

もう一度画面を見る。



「……ありがとう、助かった」



「いえいえ」



あっさりした返事。



それで終わりかと思ったのに。



彼は、まだそこにいた。



「先輩って、何年目っすか?」



「……十年以上」



「へえ」

興味なさそうに頷く。



「見えないっすね」



「どういう意味?」



「もっと怖い人かと思ってました」



「……怖い?」



「仕事できる人って、だいたい怖いじゃないですか」



(失礼……)



そう思うのに。



なぜか、少しだけ笑ってしまう。



「そんなことないわよ」



「いや、ありますよ」

即答だった。



「でも先輩は違う」



「……何が?」



少しだけ、視線が合う。



「優しそう」



その一言が、

思ったよりも、深く刺さった。



(何、この子)



初対面に近い距離で、

そんなことを言う?



普通、言わない。



でも。



不思議と。



嫌じゃなかった。





昼休み。



「先輩、ご飯行きません?」



突然だった。



「え?」



「一人で食べるの暇なんで」



(理由、それ?)



少しだけ、呆れる。



でも。



断る理由も、なかった。



「……いいわよ」



「やった」



子供みたいに笑う。



その無邪気さが、

また少しだけ距離を縮める。





会社近くの定食屋。



「こういうとこ来るんですね」



「悪い?」



「いや、意外だなって」



「どんなイメージだったのよ」



「もっといい店行ってそう」



「そんなことないわよ」



「へえ」



会話が、自然と続く。



年齢差なんて、

感じさせないくらいに。





「彼氏とかいるんですか」



唐突だった。



「……いないけど」



「そっすか」



それだけ。



深く聞いてくるわけでもない。



でも。



(なんでそんなこと聞くの)



少しだけ、

引っかかる。





会社に戻る道。



並んで歩く。



ふと。



肩が、軽く触れる。



一瞬だけ。



でも。



(近い……)



距離が、

近すぎる。



意識してないみたいに、

自然に。





「先輩って」



「なに?」



「モテそうですよね」



「急に何」



「なんとなく」



軽い口調。



でも。



その言葉の温度が、

少しだけ違った。





(この子……)



わからない。



何を考えてるのか。



距離が近いのも、

褒めてくるのも、

全部。



軽いのか。

本気なのか。





でも。



ひとつだけ、

はっきりしていることがあった。





(危ない)



この人は。





関わりすぎたら、

ダメなタイプだ。





そう、

ちゃんとわかっていたのに。





「また、飯行きましょ」



振り返りながら、

軽く言う。





「……気が向いたらね」



そう答える。





でも。



その時点で、

もう。



少しだけ、

踏み込んでしまっていた。





この距離が、

崩れていくなんて。



まだ、

知らなかった。
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