恋が終わっても、人生は続いていく

第12話:残したまま、進む



「……だから」



グラスを指先でなぞりながら、

美海は、静かに言った。



「別れたの」



バーの空気は、

相変わらず柔らかい。



照明も、

音楽も、

何も変わらないのに。





「……好きだったのに?」



三十代の女性が、

少しだけ驚いたように聞く。





「今も好きよ」





あっさりと、

そう答える。





自分でも、

驚くくらい自然に。





「でも」





少しだけ、

間を置く。





「それだけじゃ、無理だった」





グラスの中の氷が、

小さく音を立てる。





あのときと、

同じ言葉。





でも、

今は少しだけ違う意味で、

胸に落ちていた。





「……大人ね」





四十代の女性が、

苦く笑う。





「大人っていうか」





自分でも、

少しだけ笑う。





「限界だっただけ」





正直な言葉。





無理をして、

続けることもできた。





目をつぶって、

気づかないふりをして。





でも。





「それって、多分」





グラスを見つめたまま、

呟く。





「どこかで、自分が壊れるから」





その言葉に、

少しだけ沈黙が落ちる。





「……わかる」





三十代の女性が、

小さく頷く。





「でも、やめられないのもわかる」





その言葉に、

ふっと笑う。





「やめられなかったわね、あれは」





苦い思い出。



でも、

どこか愛おしい。





「……今も、会いたいと思う?」





二十代の女性が、

少しだけ不安そうに聞く。





その問いに、

少しだけ考える。





(会いたい?)





答えは、

すぐに出た。





「思うわよ」





あっさりと。





「普通に」





隠すこともなく。





「声も聞きたいし」





「触れられたら、多分また好きになる」





正直すぎる言葉。





二人が、

少しだけ息をのむ。





「じゃあ……」





二十代の女性が、

戸惑ったように言う。





「なんで、別れたんですか?」





その問いに、

ゆっくりと顔を上げる。





「戻ったら、また同じだから」





迷いなく、答える。





「同じところで傷ついて」





「同じことで悩んで」





「多分、もっと嫌いになる」





静かな声。



でも、

はっきりしている。





「……それは、嫌だったの」





それが、

すべてだった。





好きだからこそ、

壊したくなかった。





「……強いですね」





二十代の女性が、

小さく言う。





「全然」





すぐに否定する。





「めちゃくちゃ弱いわよ」





少しだけ笑う。





「本当は、戻りたいって思うし」





「今でも、連絡来たら揺れると思う」





それでも。





「でも、戻らない」





その一言に、

すべてが込められていた。





バーテンダーが、

静かにグラスを置く。





「忘れる必要はありません」





穏やかな声。





「残したままでも、人は進めます」





その言葉に、

少しだけ目を細める。





(残したまま……)





それでいいのかもしれない。





消そうとしなくても。





無理に、

なかったことにしなくても。





「……そうね」





ゆっくりと頷く。





「残ってるわ、ちゃんと」





あの時間も。



あの空気も。



あの人も。





全部。





でも。





「それでも、生きていくしかないから」





少しだけ笑う。





「ちゃんと、ご飯食べて」





「仕事して」





「たまに思い出して」





それくらいが、

ちょうどいい。





グラスを傾ける。





少し苦くて、

少し甘い。





まるで、

あの恋みたいな味だった。





「……いい恋でしたか?」





二十代の女性が、

静かに聞く。





少しだけ考える。





そして。





「ええ」





迷わず、答えた。





「最悪で、最高だった」





その言葉に、

二人が少しだけ笑う。





夜は、まだ続く。





でも。





少しだけ。





前を向けた気がした。
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