恋が終わっても、人生は続いていく

第1話:空っぽの結婚



「今日、遅くなる」



リビングに入るなり、

夫はそれだけ言った。



「……そう」



沙織は、振り返らずに答える。



それ以上の会話は、ない。





テーブルの上には、

二人分の食事。



まだ、手をつけていない。





「先に食べてて」



靴を脱ぎながら、

夫が言う。





「うん」



短く返す。





それで、終わり。





ドアが閉まる音。





家の中が、

急に静かになる。





(……またか)





ため息をつく。





別に、珍しいことじゃない。





こういう日は、

何度もあった。





仕事が忙しいのも、

知っている。





仕方ないことだって、

理解もしている。





でも。





(なんでだろう)





少しだけ、

胸が空く。





椅子に座る。





目の前の料理を見つめる。





まだ温かい。





でも、

一人で食べるには、

少し多い。





箸を手に取る。





一口食べる。





味は、ちゃんとしてる。





でも。





(美味しくない)





そう感じてしまう。





誰かと食べる前提で作ったものは、

一人だと、少しだけ寂しい味がする。





テレビをつける。





音を流す。





静かすぎるのが、

嫌で。





でも。





内容は、全然頭に入ってこない。





ただ、

音があるだけ。





(いつからだろう)





こんな風になったのは。





結婚したばかりの頃は、

違った。





一緒にご飯を食べて。



話して。



笑って。





当たり前みたいに、

時間を共有していた。





それが、

少しずつ減っていって。





気づいたら。





「今日、遅くなる」



それだけの関係になっていた。





スマホが鳴る。





メッセージ。





夫から。





『夕飯いらない』





(もう食べてるけど)





そう思いながら、

既読だけつける。





返信はしない。





必要ないから。







食事を終える。





片付ける。





一人分の皿。





もう一つは、

そのまま。





(どうしよう)





冷蔵庫に入れる。





明日の朝、

自分で食べればいい。





それだけ。





洗い物をしているとき。





ふと、

手が止まる。





(私って)





何してるんだろう。





家事をして。



仕事して。





それで。





「奥さん」として、

ちゃんとしてる。





でも。





(それだけ?)





それ以上でも、

それ以下でもない。





女性として見られている感覚なんて、

もうずっとない。





触れられることもない。





会話もない。





必要なことだけ。





それが、

この家のルールみたいになっている。





(寂しいって思うのは、わがまま?)





少しだけ、

胸が痛む。





でも。





それを誰かに言うこともない。





言ったところで、

どうにもならないから。







お風呂から出る。





部屋の電気を落とす。





ベッドに入る。





隣は、

空いている。





(当たり前)





もう、

それが普通だから。





天井を見つめる。





眠くない。





でも。





目を閉じる。





何も考えないように。





ただ、

時間が過ぎるのを待つ。





そのとき。





ふと、

思ってしまう。





(誰かに、ちゃんと見てほしい)





その感情に、

自分で驚く。





(……何考えてるの)





すぐに、

打ち消す。





こんなの、

考えちゃダメだ。





結婚してるんだから。





ちゃんとしなきゃ。





そうやって、

自分を押し込める。





でも。





その奥で。





何かが、

静かに欠けていた。
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