恋が終わっても、人生は続いていく

第5話:好きになってはいけない

朝、目が覚めた瞬間。

最初に浮かんだのは――

(……蓮課長)

その名前に、自分で少し驚く。

昨日の帰り道。

隣を歩いた時間。

「無理すんなよ」

あの声が、まだ耳に残っている。



(ダメだ)

布団の中で、ぎゅっと目を閉じる。

(考えちゃダメ)

そう思うのに、思い出してしまう。

距離。

空気。

温度。

全部。



(好きになっちゃいけないのに)

その言葉が、頭の中で繰り返される。



ゆっくりと起き上がる。

カーテンを開けると、朝の光が差し込んだ。

少しだけ眩しい。



洗面台の前に立つ。

鏡の中の自分は、いつも通りの顔をしている。

でも。

(全然、いつも通りじゃない)

胸の奥が、落ち着かない。



「……はぁ」

小さくため息をつく。

そのまま、蛇口をひねった。

冷たい水で顔を洗う。

少しだけ、頭がすっきりする。



(やめよう)

そう思う。

これ以上、進んだらダメだ。



――だって。



思い出す。

あのときのこと。



高校二年の、冬。

白い息が、空に溶けていく季節。



「寒いな」

隣で笑っていた彼。

マフラーに顔を埋めながら、少しだけ肩を寄せてきた。

「ひな、顔赤い」

「寒いからだよ」

「ほんとか?」

からかうように笑う。

その笑顔が、好きだった。



初めて好きになった人。

初めて、こんなにも大切だと思えた人。



放課後、一緒に帰る時間。

コンビニで買った肉まんを半分こしたこと。

くだらない話で笑ったこと。

全部、ちゃんと覚えてる。



「なあ」

ふと、彼が言った。

「卒業したらさ、一緒に旅行行こうぜ」

「いいね」

「約束な」

「うん、約束」



その約束は、叶わなかった。



病院の白いベッド。

静かな機械音。

動かない手。



「……嘘、だよね」

何度もそう言った。

何度も、呼んだ。

でも。



返事は、最後までなかった。



(……私が、好きになったから)



そんな考えが、頭から離れなかった。



(私が、好きになった人は……いなくなる)



根拠なんて、どこにもないのに。

でも。

どうしても、そう思ってしまう。



それから、恋はしていない。

したくなかった。

怖かった。



なのに。



「……なんで」

小さく呟く。

どうして、また。



(好きになっちゃったんだろう)



会社のドアを開ける。

いつもと同じ景色。

同じ空気。

同じ日常。



「おはようございます」

声をかけながら、席に向かう。



視線が、自然と探してしまう。

(……いる)

蓮の姿。

いつも通り、仕事に集中している。



胸が、少しだけ跳ねる。

その瞬間。



(ダメ)



自分で、自分を止める。



(見ないようにしよう)

そう決める。

必要以上に関わらない。

話しかけない。

意識しない。



それが、きっと正しい。



「陽菜、この資料お願い」

「はい」

先輩に呼ばれて、すぐに返事をする。

仕事に集中する。

余計なことを考えないように。



でも。



「ここ」

不意に、横から声がした。

びくっと肩が揺れる。



「数字、またズレてる」

蓮だった。



「……すみません」

慌てて資料を見る。

確かに、少しだけズレている。



「昨日言ったやり方、使え」

「……はい」

短く答える。

それ以上、会話を続けないように。



でも。



「……顔色悪いな」

ぽつりと、言われた。



「え……?」

思わず顔を上げる。



「寝てないのか」

視線が、真っ直ぐ向けられる。



(見ないで)

そう思った。

見られたら。

気づかれてしまいそうで。



「……大丈夫です」

すぐに視線を落とす。

「ちょっと、寝不足で」



「そうか」

それだけ言って、彼は離れていく。



それだけなのに。



胸が、ぎゅっと締まる。



(なんで……)

優しくされると、困る。



(やめたいのに)



好きになるのを、やめたいのに。



仕事に集中しようとしても。

ふとした瞬間に、思い出してしまう。

声。

距離。

言葉。



(ダメだ)

何度も、何度も思う。



(好きになっちゃ、ダメ)



それなのに。



止まらない。



この感情だけは、

どうしても。



止められなかった。
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