恋が終わっても、人生は続いていく

第8話:幸せが怖い

「これ、食べるか」

差し出されたのは、コンビニのプリンだった。

「……いいんですか?」

「買いすぎた」

いつもの調子。

でも。

それが彼なりの優しさだと、もうわかっている。



「ありがとうございます」

受け取って、小さく笑う。



最近、こういう時間が増えた。

仕事終わりに少しだけ一緒にいる時間。

一緒に帰ったり。

たまに、こうして軽く何かを食べたり。



特別なことは何もない。

でも。

(すごく、幸せ)

そう思ってしまう。



「どうした」

「え?」

「ぼーっとしてる」



「……いえ」

首を振る。



(言えない)

今、何を考えていたかなんて。



(幸せだな、って思ってました)

なんて。



「疲れてるなら帰れ」

「大丈夫です」



そう言いながら、

スプーンでプリンをすくう。

甘い。

優しい味。



「美味しいです」

「そうか」



それだけの会話。

でも。

それだけで、満たされる。



(こんなの、ダメなのに)



ふと、胸の奥がざわつく。



(慣れちゃダメ)



この時間に。

この人に。



依存したら、きっと。



(また……)



思い出す。

白い天井。

冷たい手。

返ってこない声。



「……陽菜」



「っ……はい」

呼ばれて、はっとする。



「聞いてるか」

「すみません……」



また、考え込んでいた。



「……最近、変だな」

ぽつりと言われる。



「え……?」



「ぼーっとしてること多い」



(バレてる……)



視線を逸らす。



「……大丈夫です」

そう言うしかなかった。



彼は、少しだけこちらを見ていた。



「……無理してるなら言え」



「無理してないです」

少しだけ、強く言ってしまう。



沈黙。



自分でも、わかっていた。



(違う)



無理してるのは、

こっちじゃない。



(抑えてるだけ)



好きになるのを。

これ以上進むのを。



必死に止めてるだけ。



「……そうか」

彼はそれ以上、踏み込まなかった。



その優しさが。

逆に、苦しい。



(どうして)



こんなに優しいのに。



(怖い)



帰り道。

並んで歩く。



手を繋ぐことにも、慣れてきた。

最初はあんなにドキドキしていたのに。



今は、当たり前みたいに。



(当たり前……?)



その言葉に、

自分で引っかかる。



(ダメだ)



慣れちゃダメ。



この温もりに。



この距離に。



この関係に。



「寒いか」



「え?」



肩に、何かがかけられる。



彼のジャケットだった。



「……大丈夫です」

返そうとする。



「いい」

短く止められる。



「風邪ひくぞ」



その言葉に、

手が止まる。



(優しい……)



ただ、それだけなのに。



胸が、締め付けられる。



(どうして)



こんなにも。



幸せなのに。



こんなにも。



怖いんだろう。



マンションの前。



「……ありがとうございます」

ジャケットを返す。



「ああ」

受け取るだけ。



少しだけ、間が空く。



「じゃあな」



背を向ける彼。



(待って)



心の中で、そう思う。



でも。



声には出せない。



(これ以上は、ダメ)



止めなきゃ。



これ以上、好きになる前に。



そう思うのに。



足が動かない。



その背中を、

ずっと見てしまう。



(どうしよう……)



止まらない。



この気持ちが。



幸せで。



でも。



どうしようもなく、

怖かった。
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