秘書の誕生日、一夜のはずが社長に溺愛されています
「愛果さん」

背後から名前を呼ばれて、肩が揺れる。

振り向くと、そこに立っていたのは――

「社長……」

いつも通りの、隙のない表情。

「午後の資料は確認したか」

「……はい、問題ありません」

なんとか平静を装って答える。

「そうか」

それだけ言って、社長は私を一瞥する。

ほんの一瞬、視線が重なった。

その距離が、やけに遠く感じる。

(この人は、もう……)

言葉にできない思いが、胸の奥に沈んでいく。

「……愛果さん?」

「はい?」

「どうした」

「いえ……何でもありません」

無理やり笑みを作る。

いつも通りに。秘書として、完璧に。

「失礼いたします」

軽く頭を下げて、背を向ける。

(これでいい)

これが、本来の距離。

社長と秘書。それ以上でも、それ以下でもない。

(最初から、分かってたはずなのに)

それでも、心だけが――追いつかないまま、取り残されていた。
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