星の見えない夜に、誰を救う。
CASE10 幸人
2016年7月5日。
東京都立白雲高等学校 3年B組 16:25
同級生たちが進学や就職など、それぞれ行動を始めている時期。この日もいつものように帰ろうとバッグを持ち——
「奥田君!ちょっとだけいいかな?」
「はい?」
当時28歳の新井達也は幸人と英介がいるクラスの担任教師だった。科目は国語。
「ごめんね。前も聞いたけど、本当に警察官の採用試験を受けるのでいいのか?」
「はい。もう決めました」
「でも君の成績なら桜ヶ丘大学の特待生に十分合格できると思うぞ?」
母を亡くす前は桜ヶ丘大学の法学部への進学を志していたが、亡くして以降は就職を決めている。『一つでも救える命を救いたい』という願いから、この頃には警察官になると決めていた。
「まあ君なら問題ないだろう。願書はこれで出しておくよ」
「ありがとうございます」
帰ったら今日の夕飯である冷しゃぶサラダと冷奴を作り、食べたら少し勉強しよう。そんなことを考えながら、校舎を出る。
東京都立白雲高等学校 校舎 16:31
「やめてよもう……!」
「お前小遣いもらっただろ……俺買いたいものあるから出してよぉ?」
何やら揉めているような声が聞こえる。気になった幸人は確認しに行くと——
「おお何だ……やっぱりもらってんじゃねぇか!」
「返してよ……!」
制服のネクタイを見るに1年生のようだ。気弱っぽい生徒が髪を明るく染めた生徒にカツアゲされている。奪い取ったのは小銭ではなく、財布ごと奪っている。
「おい……」
「ああ〜……?何だおい……先輩か?」
彼は腕を組みながら静かな圧をかける。
「それお前の金じゃないだろ?さっさと返してやれ……俺もあんまり大事にしたくないんだ。さあ……」
彼はゆっくり近づきながら返すよう迫る。少しばかりビビっているようだが——
「誰が返すかよマヌケ!」
生徒は彼に石を投げつけた後、そのまま停めていた自転車に乗って逃亡を図る。ここは逃げるルートを先読みする出番か?
スッ……
「……?」
当然被害に遭った生徒は、彼が何をしているかわからない。だが彼が見た未来とは——
パッ……!
「ちくしょう……」
ダッダッダッ……!
どんな未来が見えたのか、彼は突然走り出して必死に生徒を追った。自転車を全力で漕ぐ生徒に追いついてしまう走力。やがて学校を出てすぐの交差点に差しかかった頃——
ブーン……!
「オラァ……!」
ドゴッ……!ガシャン……!
「痛ってぇ〜!?テメェいきなり蹴りやがったな!?」
「お前が信号無視しようとするからだ……」
そのまま生徒の首根っこを掴んで学校へ戻す。
「財布を返して、ちゃんとごめんなさいも言え……」
「ご……ごめんなさい……」
「うん……」
彼の行動により、財布は持ち主にきちんと返された。
「金の切れ目は縁の切れ目……よく覚えておけ」
彼の未来察知能力が真価を発揮した瞬間。その様子をたまたま見ていた人間がいた。
「……やっぱりあいつ……未来が見えてるだろ……」
英介だ。未来察知を見たのは実に3回目。ここまでくると、親友の幸人は超能力者ではないかと疑い始めていた。
2016年7月10日。
東京都立白雲高等学校 体育館 14:15
この日は文化祭『未来祭』に向けて準備が進められていた。幸人と英介は、ほとんどの時間を一緒に過ごしており、準備するときも一緒だった。未来祭……英介はやはり気になってしまった。
「幸人……」
「何だ?」
「あのさ……」
「何だよ改まって?何だ……俺の唐揚げがまた食べたいか?」
「いや違う……!」
幸人はよく手料理を英介に振る舞っていた。もちろん、英介から食費を受け取る範囲で振る舞っていたが、英介のお気に入りは彼の手作り唐揚げだった。高校生が作るクオリティとは思えない料理、ものすごい身体能力、そして未来が見えているような行動。英介から見れば完璧人間だった。
「あのさ、たまにお前……耳にこう手を当てるだろ?あれ、何なんだ……?」
「……」
その質問に対し彼は急に黙り込む。一瞬険しい表情をされたが、気を取り直して——
「そんなことを考えるより、唐揚げ食べた方が楽しいだろ?それか違うもの食べたいか?」
彼は未来察知能力のことは言えなかった。言ったら英介すら離れてしまうではないかと怖かった。実際問題、彼には限られた友人しかおらず、英介が唯一の理解者だった。幸人の表情がいつもより怖いと感じた英介は——
「今度は、ハンバーグとか食ってみたいかな……」
ハンバーグは確かに作れる。だがあのとき、『ハンバーグ食べたい』と母に甘え、パン粉を買いに行かせてしまったことは、後悔してもしきれない(CASE3、CASE7参照)。
「それ以外で頼めるか?」
「……?じゃあ、餃子?」
「楽勝だ」
幸人はほんの少しだけ笑った。続いて英介も笑顔になると——
「俺ジュース奢るわ!幸人は何飲みたい?」
「いいのか?じゃあ、ブラックで」
「カフェイン中毒の治療終わったのか?」
「もう大丈夫だ。それかジャスミン茶で」
「りょーかい。ジャスミン茶買ってくるね!」
彼はカフェイン中毒の治療を終えたばかりで、控えてはいるが飲みたくもなる。今はジャスミン茶がいい。
ゾワゾワ……
「……?」
わずかに聞こえる陰口。内容的に自分のことを言っているように感じた。彼の足は話し声のする方向へ向かっていた。
「何だって……?」
「奥田先輩……!?」
話していたのは制服を着崩した2年生が数人。名前はわからないが、確かダンス部のはずだ。
「何か曽根原先輩から聞いたんすけどぉ……奥田先輩って警察官目指してるらしいっすね!」
「それがどうしたんだ……?」
スッ……
「……!?」
なぜ耳に手を当てる仕草を知っている……?後輩の一人がマネをした。
「警察官になる前に、このイタい癖直したらどうっすかぁ?」
「親の顔が見てみたいっすね〜!イタい決めポーズ教えたママとか!」
「……」
彼は能面のような表情になる。『親の顔が見てみたい』……これだけは、最も言ってはならない台詞だ。
「あれ、どうしたんすか?まさか図星——」
ノロ……ノロ……
「……!?何ですかもう……?」
彼は無表情のままゆっくりと迫り、圧に逆らえない後輩は壁にまで詰められる。次の瞬間——
ドンッ……!
「うわっ……!?」
いきなり飛んできたのは顔面すれすれのパンチ。体育館の壁が一部へこむ威力だ。もろに当たっていたらどうなっていたか……
ぴちゃぴちゃ……
当然彼の拳からも血が流れる。やがて視線が集まってくる。
「俺に親はいねえんだよ……とっくの前にな……!いいか?俺たちより小さい子どもだってな、親がいない人なんていっぱいいるんだよ……何も知らずにそういうことがな、人の心を抉ったりするんだ……」
「ひぃ……!?」
「覚えておけ……次はねえぞ……」
騒ぎを聞きつけた教師たちが駆けつけると——
「おい!そこ何やってんだ!?」
実際に殴ってはいないものの、状況から見るに幸人が後輩を脅していることは明白だった。飲みものを買い終えた英介も戻り——
「幸人……!?お前血出てんぞ……!」
幸人と殴られる寸前だった後輩は教師に連行され、そのまま生徒指導となった。後輩は発言的にいじめに入ると認められ厳重注意。幸人は脅迫行為として反省文を1枚書かされただけで済み、警察官採用試験に影響することはなかった。
その後幸人は警察官採用試験に合格し、高校を卒業して警察学校に入校。警察学校を卒業後は臨海警察署に配属され、かなり早い段階で巡査から巡査長、巡査部長となってキャリアを積んでいった。
それからさらに年月が流れ、2024年3月15日。
東京都港区 マンション『シーサイドレイズ』105号室 10:06
パシャ……パシャ……
港区のマンションで40代の女性が殺害された。
「胸を一刺しか……」
凶器となったものは見当たらなかったが、死因は包丁やナイフなどの刃物で刺されたことだった。
「身元はわかったのか?」
「ちっ……何でお前がいるんだよ……」
幸人は事件の検挙率が非常に高いものの、強引に捜査を進める身勝手な性格で賞罰共に多い。正直な話、お世辞にも尊敬されているとは言えない。だが皆が知らない未来察知能力によって事件を難なく解決することから、上司も中々咎められずにいる。
「捜査一課だから。まあ身元は聞くまでもない……被害者は巻山 里美さん47歳。そしてこの方が、娘さんの巻山 美郷(21)だ」
彼は既に被害者の身元を知っていた。娘の美郷と2人でそのマンションで暮らし、シングルマザーだったという。
「私が悪いんです……!」
「……」
「えっ……!?どういうことですか……?」
「待て……ゆっくり聞いてやれ……」
「私が、あんな男と付き合うから……!私に断る勇気がなかったから……!ママ……ごめんなさい……!」
「しばらく聞くには無理そうだ……とりあえず俺から説明する」
彼によると、美郷には数か月前に交際を始めた男がいたのだが、とんでもないDV男だったらしい。1週間前に別れた後もストーカー被害を受け、執拗な付きまとい行為に耐えられなくなり、臨海警察署に相談した直後だった……
「(もっと早く相談してくれればよかったのに……)」
幸人を襲ったのは被害者を助けられなかった喪失感、そして——
『落ち込まないで……一人で考え込まないで……』
「うるさい……」
「う……うるさい?」
「……?ああ……すまない……何でもない」
時折やってくる母親の幻聴だ。統合失調症の症状で幻覚・幻聴を感じることは仕方ないが、未来察知能力はどういう原理なのか。考えてもわからない。
「でも被害者の里美さん……娘さんとよく似てるよな?」
「そう……おそらく家に入った女性を娘さんと勘違いして家に入り、口封じに殺したんだろう……」
「可哀想に……って……」
バリバリ……
まるで響き渡るような歯ぎしり音。彼の恐ろしい一面は、怒ると本当に誰も止めることができないのだ。過去に一度、被害者を自殺に追い込んだ結婚詐欺師の男に全治数か月の大怪我を負わせたことがある。同じ区の警察官なら彼の恐ろしさを知らぬ者はいない。
「なぁ……さすがにもうやめてくれよ……?俺もこれ以上フォローしきれないからな……」
「わかっている……」
2024年3月18日。
桜ヶ丘大学 体育館 12:07
この日、美郷は母親が来ない大学の卒業式を迎えた。袴を着た姿を見せられたのは試着したときだけ。卒業式で見せられなかった無念が美郷の心を襲う。そんな美郷の姿を遠くから見ている幸人は——
「なぁ……本当に犯人がここに来るってわかるのか?」
一緒に護衛している百瀬優平は自然と彼に付いてきていた。彼は見た未来を細かくメモしている。未来察知能力を使うと、どうしても起きたことを忘れてしまう。賞罰共に多い理由は、能力を使って事件を解決しても、どうしても強引なやり方を上司に咎められる。だが忘れてしまう。当然忘れてしまう事情を知らないため、『奥田は改善する気がない!』と言われてしまう。未来を見た直後に記憶を失わない理由は、能力を与えた主である母が彼の脳にブレーキをかけているため。問題を解決するとブレーキが解けるため、新しい記憶が失われてしまう。卒業式が終わって美郷が大学を出た頃——
「……」
「奥田……どこ見てんだ……?」
「来るぞ……」
彼が見つめる先は一人の男。スーツを着ているがキャップを被って顔を隠しているような素振り。
コソコソ……トントン……
「……?」
「君、顔を見せてくれないかな……?」
声をかけた瞬間に再びキャップを目深に被る。
「くそっ……!?」
シャキン……!
やはり彼の未来視通りだった。卒業式を終えたとき、ストーカー男がナイフを持って現れる。美郷の命を奪うために……
ガシッ……ズドン……!
「うわっ……!?」
「悪い百瀬さん……手錠かけるからちょっとパスさせてくれ……」
暴れる男を百瀬に任せると——
スッ……パラッ……カリカリ……
「これでよし……」
「今度は何書いたんだ?」
「起きたこと全部。忘れちまうからさ」
そのまま男は連行されていき、事情聴取の結果、巻山里美を殺害した張本人かつ美郷のストーカー。山入 孝泰(25)だった。山入は殺人罪、ストーカー規制法違反、住居侵入罪によって逮捕された。しかし、幸人には山入孝泰を逮捕へ導いた直接の記憶は残っていなかった。
2024年7月21日。
大河原病院 精神科外来 9:40
彼はよく統合失調症の治療のために大河原病院を訪れる。専門の医師でも理解できないのは、見る幻覚と幻聴が全て母親の千夏しか現れないことだった。他のものは一切映らない。
「うぅん……やっぱり異常は見当たりません……その、お母様しか見えないってことは……どのような姿で?」
「死んだときと同じ服……見た目は40歳のままだ……」
「40歳のまま……?」
「こんな感じの服で」
彼が見せたのは亡くなる数週間前に撮影された千夏の写真。写真の服装と実際現れる服装と少しの差異こそあるが、ほぼ同じだ。
「それと奥田さんがこの前仰っていた……未来が見える能力……でしたっけ?」
「……!?もしかして原因がわかったんですか!?」
「わかるわけないじゃないですか……確かに未来予知能力を持つ超能力者とかテレビでやってましたけど……でもあれって、正直科学的根拠とか何にもないんですよ」
この先どれだけ医学が進歩したとしても、彼の未来察知能力の実態がわかる日は来ないだろう。来たとしても、能力の持ち主が奥田幸人のみということに変わりはないだろう。今日もわからずじまい……帰ろうか——
大河原病院 廊下 9:46
コツ……コツ……
「……本当俺に何が起きているんだよ……?」
今話題のAIチャットアプリに聞いてみてもわからない。医学で説明できないのなら、未来察知能力は完全にスピリチュアルの分類に当てはまるだろう。そんなことを考えながら歩いていると——
ドサッ……ビチャ……
「あっつ……!」
「痛ったい……!ってあっ……!?ごめんなさい!?ワイシャツが……」
突然早歩きしていた女性がぶつかってきた。女性が持っていた紙カップのコーヒーが彼のワイシャツに溢れる。
「どこに目つけてんだ……」
彼はそのまま立ち去る。すると——
「ちょっと待ってください……!」
「何だよ……?」
「いや……ワイシャツ汚しちゃったので……クリーニングとか……」
「洗濯すれば落ちる」
「いやそういうわけにはいきません……!」
「何だもう……いい加減にしろ!」
ビクッ……
「グスン……怒らなくてもいいじゃないですか……?」
しまった。女性相手に怒鳴ってしまうとは……
「ごめん……言いすぎたよ……コーヒー溢れたからさ、代わりに何か買ってくるよ。何がいい?」
「えっ……?」
「俺が悪かった……コーヒー買ってこれで終わりだ……何がいい?」
「カフェラテ……」
「わかった……」
彼はお詫びとしてカフェラテを購入した。ワイシャツのことは洗濯機に入れれば綺麗になる。
「ほら……」
「ありがとうございます……」
今日は非番だからこのまま家に帰って昼間から酒を飲もうと考えていたとき——
「あの……!」
「何だ……まだ何か言うのか?」
「お名前……何て言うんですか?私は成瀬陽菜です……」
「奥田だ……奥田幸人」
「ゆきひとさん?」
「そうだ。じゃあな……」
成瀬陽菜……心の中で思ったのは綺麗な女性だった。今まで恋愛経験のない彼は、少しばかりときめいていた。また会えるときが来るかな?自然と陽菜の名前をメモに書いていた。
2024年8月8日。
港区のスーパー『八本』 11:25
夏になるとあまり買いだめはできない。そもそもレトルトは使わないが、調味料は要注意。今日は必要最低限の範囲で買おう。今日の夕飯は山賊焼き。ニンニク醤油に漬け込んだ鶏むね肉を豪快に揚げる信州名物の料理。鶏むね肉はどこだ?
「あった……ラスイチ……」
彼が残り一つの鶏むね肉を買おうかと手を伸ばした瞬間——
ふわっ……
同じタイミングで鶏むね肉を掴んだもう一つの手。この肉は自分のものだと思いたいところだが——
「あらごめんなさい……この鶏肉は……ってあなたこの前の……ええっと……!」
「奥田幸人だ。あんたは成瀬陽菜さんだろ?」
「幸人さんだ……!この前はありがとうございました!」
未来察知はいざというときしか使わないため、陽菜の名前と顔はメモを見なくても覚えていた。しかし女性と会話をすることはこんなにも緊張するのか?当時26歳ながら初心な男だ。自然と彼の口が動く——
「ああ……君も鶏肉目当てなんだな?これ譲るよ……」
「いやいやそんな!今日使う予定ではなかったので」
「いいのか?じゃあこれは俺の……」
大の大人が一人で買いものをしている。彼の持つカートには肉に魚、野菜が多く入っている。
「一人暮らしなんですか?」
「ああ。まあね……」
やっぱり綺麗な女性だな……この再会できたチャンスを逃してしまったら次はないのかもしれない。
「陽菜さん……!」
「えっ……?」
「あの……今度よかったら、俺とメシ行かないか?」
「幸人さんとごはん?」
「うん……!」
こんなに照れたのは初めてだ。彼は母を失ってから女性と話すことを避けていた。
「いいですよ!」
「いいのか……?」
「あれなら今日でもいいですよ!」
「きょ……今日……!?(言った当日にメシデート……!陽菜さんって積極的な人だったのか……!?)」
「都合悪いですか?」
「いやそんなことない……!行こう……」
「……?」
あまりの照れた表情に陽菜は不思議そうに首を傾げる。恋愛経験がない、もしくは少ないことを察しているのだろう。
「俺……すぐ会計済ませてきちゃうわ!」
彼は小走りでカートを押してレジへ向かい、そのまま会計を済ませた。それに続いて彼女も会計を済ませると——
「私いつも歩きなんですよ。荷物どうしよっかな?」
「俺の車に載せておくといいよ!」
「いいんですか?」
「あと乗ってって!食べ終わったら家まで送るからさ!」
彼の自家用車はホンダのN-BOX。後部座席に買った食材を置き、彼の運転で近場のファミレスへ行った。病院で初めて出会ったのが始まりとなり、こうして食事へ行ったことが奥田幸人と成瀬陽菜の愛を育むきっかけとなった。
2025年9月18日。あれから2人は1年の交際を経てデートを重ね、遂に結婚した。
幸人の妻になった奥田陽菜だが、お互い夫婦生活に悩んでいた。仲が悪いなど単純な理由ではなく、それぞれの生き方にジレンマが生じている。たとえば彼の場合なら——
奥田宅 17:02
トントントン……
仕事が休みの日は彼がごはんを作ることが多い。家事は分担しているが、この日は彼担当。
バタンッ……
「ただいま……」
「おかえり……!?ちょっと陽菜!こっち来なさい……!」
陽菜が額に包帯を巻いて帰って来た。怪我をしているのは明白だった。彼は手を拭いてメモ帳を持ち——
「メモ帳なんて持たなくてもいいでしょ……?」
「いいから話しなさい……!何があったんだ?」
話を聞いてみると、帰宅途中にながらスマホしていた自転車とぶつかってしまい、額に怪我をしてしまったという。彼女の悩みとは、自分のことを大切にして気遣ってくれるのは大変嬉しいことだが、何でもメモをして記録しすぎること。まるで日記にされているようで嫌だった。当然彼女は、未来察知を使うと記憶を失うなんて知るはずもない。
「ちょっとどこ行くのよ!?」
「陽菜を怪我させたんだ……一発やってやらないと気が済まない……」
「ちょっとやめて……!?」
彼女は必死に抑えて落ち着かせようとする。すると——
「じゃあ私が怪我したことを忘れて!」
彼女はメモ帳を奪い取ると、怪我した原因と内容が書かれている箇所を黒く塗り潰した。
「おい何すんだよ……!?」
「こんなの覚えてたってしょうがないでしょ……!?」
「やめろ……それを返せ!」
優しく話を聞いたつもりが喧嘩に発展してしまう。2人がメモ帳を奪い合っていると——
「やめろっ……!離せ!」
ドサッ……!
「キャ……!?」
「あっ……」
ドスン……!
「痛ったぁい……!あなた最低よ……!」
何ということだ……軽く押した程度が、勢い良く尻もちをついてしまった。
「陽菜……ごめん……」
ギロッ……
初めて睨まれた彼は言葉を失う。
ボコボコ……ブワッ……!
冷たい雰囲気を破るように、熱い豚汁が吹き溢れる。
「ごめん……今日は陽菜の好きな豚汁と親子丼だよ……食べようよ?」
「……親子丼?」
「そう……親子丼」
「……今日はそれ食べる……」
「よかった……」
「けど勘違いしないで……許したわけじゃないから……」
親子丼と豚汁が今日の夕飯であると知った陽菜は、少しだけ機嫌を良くして上着を脱いだ。だがやはり、彼女にとって何でもメモされることはストレスだ。日常生活で起きる範囲、たとえば買いものに行った場所や食事をした飲食店などの情報はメモしないが、旅行へ行った思い出は写真よりもメモに頼る。どうしても思い出を共有した気持ちになれなかった。
「よしお待たせ……じゃあいただきます……」
「いただきます……」
不器用でも優しい。陽菜はそんな幸人を心から愛していた。
2026年12月28日。
奥田宅 19:21
「ただいま……?どうしたんだ陽菜?」
家に帰ると、陽菜が立ったままリビングで出迎えていた。それもかなり険しい表情で。
「どうしたんだよ……そんな怖い顔して……?」
彼は上着を脱いで冷蔵庫を開けてみると——
「……!?おいちょっと……?昨日俺が買っておいた酒が全部ない!陽菜、何か知らないか?」
「あのさ……私の顔見て真っ先にお酒のこと聞くの?何で私が怒っているかわからないの……?お酒ならここよ」
台所には缶ビールや缶チューハイ。買い込んだお酒が全部捨てられ、空き缶が逆さになっている状態で置かれていた。
「お前何もったいねえことしてんだよ……!?」
ガシャーン……!
彼女は空き缶を彼に投げつけた!
「……!?」
「もう限界なのよ……!あなたはいっつも私に頼るどころか、メモに頼る……!それで何かあるとお酒に逃げる……!あなたにとって私は何よ!?」
「妻だよ……!それより何でそんなに怒ってんだよ……!?」
「今言ったじゃない……?それがわかんない時点でもうアウトなのよ……」
彼女の心は不満感とやるせなさで既に限界だった。そして、記入済みの離婚届を冷たく差し出した。
「もう無理よ……離婚して……!」
「ちょっと待ってくれって……!」
どれだけ引き止めても、彼女は耳を貸してくれなかった。俺はここまで彼女に嫌な想いをさせてしまったのか……?彼女の言った通り、彼は何かあるたびにメモ帳に書き記し、彼女を信じる前にメモを見て確認することを繰り返していた。彼女からすれば、自分を信用していないことと同じ。妻ではなく『記録係』に見られているようだった。
「さよなら……荷物は私の両親と後日取りに行くから……」
「おい……そんな……!?待ってくれよ陽菜……!?」
結局2人は、結婚からわずか1年3か月で離婚することになった。陽菜は旧姓の『成瀬』に戻し、幸人は母と一緒に住んでいた家で再び一人になってしまった。言うまでもなく、離婚後の彼は飲酒量がより増えてしまい、寝坊による遅刻を繰り返してしまう。それでも、刑事として優秀な彼を切り捨てることはできなかったようだ。
2027年12月24日。
松之原タワー 39階 大浴場エリア 22:45
「ごめんね……私ずっとあなたのこと誤解してた……こんなに、辛かったなんて……」
陽菜は松之原タワーで起きた内容と、救出した人物名が書かれたメモを見ている。そしてようやく理解した。奥田幸人は、未来を見る代償に記憶を失っていたことを……本当は自分のことを、忘れたくないからメモを取っていたと。
「幸人……本当にごめんなさい……ごめんなさい……!」
「何で君が謝るんだ……?原因を作ったのは俺なんだ……俺が全部隠していたから……」
どれほどの時間、こうして過去を思い出しながら話していたのだろうか?けれど、クリスマスを迎えたらどんな記憶を失うかわからない。だからこそ愛を語り合いたかった。すると——
「幸人……勝手なことなのはわかっているけど、一つだけお願いがあるの……」
「何だ?君のお願いなら何でも聞いてあげるよ……」
「もう一度……恋人からでも、あなたとやり直したい……」
突然のお願い。お互いに愛しているのなら、答えはもう決まっている。
「当たり前じゃないか……またやり直そう……俺でよければ……」
「幸人……!」
このまま何時間でも抱いていたい。陽菜がいるならビルに潰されてもいい……極限状態でも、そう思うくらい最高な気持ちだった。
ゴゴゴゴォ……!ドガァァン……!
「……!陽菜……俺は絶対……君のことを助ける!俺、やっぱり陽菜のこと……超絶……ハハッ……愛してる!」
「幸人……許してくれるの……?」
「許すかどうかじゃなくて、俺は君のことを愛してる……それで君は?」
「愛してる……」
「大事なのはそれだけだろ?俺はこれからも君を守る……」
ガシャ……ガシャ……
遠くから重い足音が聞こえてきた。2人の姿を静かに見守る男は——
「幸人……会えたんだな……」
屋上で仲間たちを逃がし終えた後の将佑だ。すると——
「将佑……?」
「あなたは……?」
「ああ……悪かったな……!俺邪魔だったか?」
「いいんだ……将佑がいてくれて助かるよ……」
「将佑さん……?」
すると幸人は陽菜の肩を支えながら立ち上がる。
「将佑がいてくれなきゃ、俺たちは助からないもんな……」
「何だ?あれほど強がっていた幸人らしくないな?フンッ……まあいいさ。俺も親友と大切な人を見捨てられないしな……」
「親友か……俺たち」
「そうだ……俺たちは親友だろ?」
「フン……そうだな」
ゴゴゴゴォ……!
「屋上にヘリが待機している!屋上を目指すぞ!」
「わかった!陽菜、立てそうか?」
「うん……!」
「さあ行くぞ……!」
松之原タワー 49階 展望ラウンジ 23:00
キュウィィン……
「準備はいいか将佑……?5分で片づけようぜ……」
「ラクショー……!」
陽菜や他の生存者は英介に任せてある。今は残っている10機のドローンをぶっ潰す。将佑は事前に持っていたホースをドローンに向けると——
シャー……!
放出された水は4機のドローンを破壊する。やがて残ったドローンは幸人を撃とうと銃口を向ける。
「幸人!」
将佑はホースを投げる。そして——!
「ハァ……!」
バーン……!
ホースを蹴り飛ばして3機のドローンに命中させ破壊!残る3機も続いて銃弾を放つが——
メキメキ……ドガァァン……!
残ったドローンは崩れた天井に潰された。
「急ぐぞ!」
「ああ!」
これでもう邪魔する小賢しいドローンはいなくなった。あとは間藤を追い詰めて、屋上で待機しているヘリで脱出するのみ。しかし……
「ウゥ……!?」
「大丈夫か!?」
「何とかな……」
24時を迎える前に皆を助けてあげたい。助ける前に記憶をなくすのは嫌だ……!そのまま2人の英雄は屋上へと駆け上がる。
松之原タワー 屋上 ヘリポート 23:12
2人が屋上へ辿り着いたときに広がっていたのは、既に視界が傾き始めた光景だった。誰が見ても横倒しに崩れるのは明白だった。目の前には英介と真也が傷だらけで倒れている。そして——
「間藤!……!?」
「幸人……!助けて……!」
「どこまでもしつこい野郎だな!その消防の野郎も……!」
奴は陽菜を人質に取っている!それに手元には爆弾のスイッチ。タワー崩壊まで時間がない中、何も知らない救助ヘリが音を立てて現れる。
ブルルルル……!
ヘリが近づき、間藤が持つ爆弾のスイッチが押されそうになるこの状況。
「将佑……俺が合図したら陽菜のところまで走ってくれ……」
「……?幸人はどうするんだ……!?ここに留まっていれば焼かれちまうぞ!?」
「大丈夫だ……これが俺の、最後のときだ……」
「幸人……」
スッ……
彼はそっと耳に手を当てる……未来はどれくらい見ればいい?俺の限界は一体どれくらいだ!?見る未来によって全てが変わる。未来察知能力のリミッターは既に限界を突破している。母の幻覚すら介入できない状態だ。
『やめて幸人……!もう無理よ……!』
いくら叫んでも、息子の心には届かない。それでも、彼が見る未来によって迎える未来が決まってしまう。破滅の未来か、それとも救済の未来か——?そして……
「未来察知……開始する……!」
彼は一体……どの運命を辿るのか?
・12月24日 23:20 タワー崩壊まで40分……
・タワーにいる残留者は6人……
東京都立白雲高等学校 3年B組 16:25
同級生たちが進学や就職など、それぞれ行動を始めている時期。この日もいつものように帰ろうとバッグを持ち——
「奥田君!ちょっとだけいいかな?」
「はい?」
当時28歳の新井達也は幸人と英介がいるクラスの担任教師だった。科目は国語。
「ごめんね。前も聞いたけど、本当に警察官の採用試験を受けるのでいいのか?」
「はい。もう決めました」
「でも君の成績なら桜ヶ丘大学の特待生に十分合格できると思うぞ?」
母を亡くす前は桜ヶ丘大学の法学部への進学を志していたが、亡くして以降は就職を決めている。『一つでも救える命を救いたい』という願いから、この頃には警察官になると決めていた。
「まあ君なら問題ないだろう。願書はこれで出しておくよ」
「ありがとうございます」
帰ったら今日の夕飯である冷しゃぶサラダと冷奴を作り、食べたら少し勉強しよう。そんなことを考えながら、校舎を出る。
東京都立白雲高等学校 校舎 16:31
「やめてよもう……!」
「お前小遣いもらっただろ……俺買いたいものあるから出してよぉ?」
何やら揉めているような声が聞こえる。気になった幸人は確認しに行くと——
「おお何だ……やっぱりもらってんじゃねぇか!」
「返してよ……!」
制服のネクタイを見るに1年生のようだ。気弱っぽい生徒が髪を明るく染めた生徒にカツアゲされている。奪い取ったのは小銭ではなく、財布ごと奪っている。
「おい……」
「ああ〜……?何だおい……先輩か?」
彼は腕を組みながら静かな圧をかける。
「それお前の金じゃないだろ?さっさと返してやれ……俺もあんまり大事にしたくないんだ。さあ……」
彼はゆっくり近づきながら返すよう迫る。少しばかりビビっているようだが——
「誰が返すかよマヌケ!」
生徒は彼に石を投げつけた後、そのまま停めていた自転車に乗って逃亡を図る。ここは逃げるルートを先読みする出番か?
スッ……
「……?」
当然被害に遭った生徒は、彼が何をしているかわからない。だが彼が見た未来とは——
パッ……!
「ちくしょう……」
ダッダッダッ……!
どんな未来が見えたのか、彼は突然走り出して必死に生徒を追った。自転車を全力で漕ぐ生徒に追いついてしまう走力。やがて学校を出てすぐの交差点に差しかかった頃——
ブーン……!
「オラァ……!」
ドゴッ……!ガシャン……!
「痛ってぇ〜!?テメェいきなり蹴りやがったな!?」
「お前が信号無視しようとするからだ……」
そのまま生徒の首根っこを掴んで学校へ戻す。
「財布を返して、ちゃんとごめんなさいも言え……」
「ご……ごめんなさい……」
「うん……」
彼の行動により、財布は持ち主にきちんと返された。
「金の切れ目は縁の切れ目……よく覚えておけ」
彼の未来察知能力が真価を発揮した瞬間。その様子をたまたま見ていた人間がいた。
「……やっぱりあいつ……未来が見えてるだろ……」
英介だ。未来察知を見たのは実に3回目。ここまでくると、親友の幸人は超能力者ではないかと疑い始めていた。
2016年7月10日。
東京都立白雲高等学校 体育館 14:15
この日は文化祭『未来祭』に向けて準備が進められていた。幸人と英介は、ほとんどの時間を一緒に過ごしており、準備するときも一緒だった。未来祭……英介はやはり気になってしまった。
「幸人……」
「何だ?」
「あのさ……」
「何だよ改まって?何だ……俺の唐揚げがまた食べたいか?」
「いや違う……!」
幸人はよく手料理を英介に振る舞っていた。もちろん、英介から食費を受け取る範囲で振る舞っていたが、英介のお気に入りは彼の手作り唐揚げだった。高校生が作るクオリティとは思えない料理、ものすごい身体能力、そして未来が見えているような行動。英介から見れば完璧人間だった。
「あのさ、たまにお前……耳にこう手を当てるだろ?あれ、何なんだ……?」
「……」
その質問に対し彼は急に黙り込む。一瞬険しい表情をされたが、気を取り直して——
「そんなことを考えるより、唐揚げ食べた方が楽しいだろ?それか違うもの食べたいか?」
彼は未来察知能力のことは言えなかった。言ったら英介すら離れてしまうではないかと怖かった。実際問題、彼には限られた友人しかおらず、英介が唯一の理解者だった。幸人の表情がいつもより怖いと感じた英介は——
「今度は、ハンバーグとか食ってみたいかな……」
ハンバーグは確かに作れる。だがあのとき、『ハンバーグ食べたい』と母に甘え、パン粉を買いに行かせてしまったことは、後悔してもしきれない(CASE3、CASE7参照)。
「それ以外で頼めるか?」
「……?じゃあ、餃子?」
「楽勝だ」
幸人はほんの少しだけ笑った。続いて英介も笑顔になると——
「俺ジュース奢るわ!幸人は何飲みたい?」
「いいのか?じゃあ、ブラックで」
「カフェイン中毒の治療終わったのか?」
「もう大丈夫だ。それかジャスミン茶で」
「りょーかい。ジャスミン茶買ってくるね!」
彼はカフェイン中毒の治療を終えたばかりで、控えてはいるが飲みたくもなる。今はジャスミン茶がいい。
ゾワゾワ……
「……?」
わずかに聞こえる陰口。内容的に自分のことを言っているように感じた。彼の足は話し声のする方向へ向かっていた。
「何だって……?」
「奥田先輩……!?」
話していたのは制服を着崩した2年生が数人。名前はわからないが、確かダンス部のはずだ。
「何か曽根原先輩から聞いたんすけどぉ……奥田先輩って警察官目指してるらしいっすね!」
「それがどうしたんだ……?」
スッ……
「……!?」
なぜ耳に手を当てる仕草を知っている……?後輩の一人がマネをした。
「警察官になる前に、このイタい癖直したらどうっすかぁ?」
「親の顔が見てみたいっすね〜!イタい決めポーズ教えたママとか!」
「……」
彼は能面のような表情になる。『親の顔が見てみたい』……これだけは、最も言ってはならない台詞だ。
「あれ、どうしたんすか?まさか図星——」
ノロ……ノロ……
「……!?何ですかもう……?」
彼は無表情のままゆっくりと迫り、圧に逆らえない後輩は壁にまで詰められる。次の瞬間——
ドンッ……!
「うわっ……!?」
いきなり飛んできたのは顔面すれすれのパンチ。体育館の壁が一部へこむ威力だ。もろに当たっていたらどうなっていたか……
ぴちゃぴちゃ……
当然彼の拳からも血が流れる。やがて視線が集まってくる。
「俺に親はいねえんだよ……とっくの前にな……!いいか?俺たちより小さい子どもだってな、親がいない人なんていっぱいいるんだよ……何も知らずにそういうことがな、人の心を抉ったりするんだ……」
「ひぃ……!?」
「覚えておけ……次はねえぞ……」
騒ぎを聞きつけた教師たちが駆けつけると——
「おい!そこ何やってんだ!?」
実際に殴ってはいないものの、状況から見るに幸人が後輩を脅していることは明白だった。飲みものを買い終えた英介も戻り——
「幸人……!?お前血出てんぞ……!」
幸人と殴られる寸前だった後輩は教師に連行され、そのまま生徒指導となった。後輩は発言的にいじめに入ると認められ厳重注意。幸人は脅迫行為として反省文を1枚書かされただけで済み、警察官採用試験に影響することはなかった。
その後幸人は警察官採用試験に合格し、高校を卒業して警察学校に入校。警察学校を卒業後は臨海警察署に配属され、かなり早い段階で巡査から巡査長、巡査部長となってキャリアを積んでいった。
それからさらに年月が流れ、2024年3月15日。
東京都港区 マンション『シーサイドレイズ』105号室 10:06
パシャ……パシャ……
港区のマンションで40代の女性が殺害された。
「胸を一刺しか……」
凶器となったものは見当たらなかったが、死因は包丁やナイフなどの刃物で刺されたことだった。
「身元はわかったのか?」
「ちっ……何でお前がいるんだよ……」
幸人は事件の検挙率が非常に高いものの、強引に捜査を進める身勝手な性格で賞罰共に多い。正直な話、お世辞にも尊敬されているとは言えない。だが皆が知らない未来察知能力によって事件を難なく解決することから、上司も中々咎められずにいる。
「捜査一課だから。まあ身元は聞くまでもない……被害者は巻山 里美さん47歳。そしてこの方が、娘さんの巻山 美郷(21)だ」
彼は既に被害者の身元を知っていた。娘の美郷と2人でそのマンションで暮らし、シングルマザーだったという。
「私が悪いんです……!」
「……」
「えっ……!?どういうことですか……?」
「待て……ゆっくり聞いてやれ……」
「私が、あんな男と付き合うから……!私に断る勇気がなかったから……!ママ……ごめんなさい……!」
「しばらく聞くには無理そうだ……とりあえず俺から説明する」
彼によると、美郷には数か月前に交際を始めた男がいたのだが、とんでもないDV男だったらしい。1週間前に別れた後もストーカー被害を受け、執拗な付きまとい行為に耐えられなくなり、臨海警察署に相談した直後だった……
「(もっと早く相談してくれればよかったのに……)」
幸人を襲ったのは被害者を助けられなかった喪失感、そして——
『落ち込まないで……一人で考え込まないで……』
「うるさい……」
「う……うるさい?」
「……?ああ……すまない……何でもない」
時折やってくる母親の幻聴だ。統合失調症の症状で幻覚・幻聴を感じることは仕方ないが、未来察知能力はどういう原理なのか。考えてもわからない。
「でも被害者の里美さん……娘さんとよく似てるよな?」
「そう……おそらく家に入った女性を娘さんと勘違いして家に入り、口封じに殺したんだろう……」
「可哀想に……って……」
バリバリ……
まるで響き渡るような歯ぎしり音。彼の恐ろしい一面は、怒ると本当に誰も止めることができないのだ。過去に一度、被害者を自殺に追い込んだ結婚詐欺師の男に全治数か月の大怪我を負わせたことがある。同じ区の警察官なら彼の恐ろしさを知らぬ者はいない。
「なぁ……さすがにもうやめてくれよ……?俺もこれ以上フォローしきれないからな……」
「わかっている……」
2024年3月18日。
桜ヶ丘大学 体育館 12:07
この日、美郷は母親が来ない大学の卒業式を迎えた。袴を着た姿を見せられたのは試着したときだけ。卒業式で見せられなかった無念が美郷の心を襲う。そんな美郷の姿を遠くから見ている幸人は——
「なぁ……本当に犯人がここに来るってわかるのか?」
一緒に護衛している百瀬優平は自然と彼に付いてきていた。彼は見た未来を細かくメモしている。未来察知能力を使うと、どうしても起きたことを忘れてしまう。賞罰共に多い理由は、能力を使って事件を解決しても、どうしても強引なやり方を上司に咎められる。だが忘れてしまう。当然忘れてしまう事情を知らないため、『奥田は改善する気がない!』と言われてしまう。未来を見た直後に記憶を失わない理由は、能力を与えた主である母が彼の脳にブレーキをかけているため。問題を解決するとブレーキが解けるため、新しい記憶が失われてしまう。卒業式が終わって美郷が大学を出た頃——
「……」
「奥田……どこ見てんだ……?」
「来るぞ……」
彼が見つめる先は一人の男。スーツを着ているがキャップを被って顔を隠しているような素振り。
コソコソ……トントン……
「……?」
「君、顔を見せてくれないかな……?」
声をかけた瞬間に再びキャップを目深に被る。
「くそっ……!?」
シャキン……!
やはり彼の未来視通りだった。卒業式を終えたとき、ストーカー男がナイフを持って現れる。美郷の命を奪うために……
ガシッ……ズドン……!
「うわっ……!?」
「悪い百瀬さん……手錠かけるからちょっとパスさせてくれ……」
暴れる男を百瀬に任せると——
スッ……パラッ……カリカリ……
「これでよし……」
「今度は何書いたんだ?」
「起きたこと全部。忘れちまうからさ」
そのまま男は連行されていき、事情聴取の結果、巻山里美を殺害した張本人かつ美郷のストーカー。山入 孝泰(25)だった。山入は殺人罪、ストーカー規制法違反、住居侵入罪によって逮捕された。しかし、幸人には山入孝泰を逮捕へ導いた直接の記憶は残っていなかった。
2024年7月21日。
大河原病院 精神科外来 9:40
彼はよく統合失調症の治療のために大河原病院を訪れる。専門の医師でも理解できないのは、見る幻覚と幻聴が全て母親の千夏しか現れないことだった。他のものは一切映らない。
「うぅん……やっぱり異常は見当たりません……その、お母様しか見えないってことは……どのような姿で?」
「死んだときと同じ服……見た目は40歳のままだ……」
「40歳のまま……?」
「こんな感じの服で」
彼が見せたのは亡くなる数週間前に撮影された千夏の写真。写真の服装と実際現れる服装と少しの差異こそあるが、ほぼ同じだ。
「それと奥田さんがこの前仰っていた……未来が見える能力……でしたっけ?」
「……!?もしかして原因がわかったんですか!?」
「わかるわけないじゃないですか……確かに未来予知能力を持つ超能力者とかテレビでやってましたけど……でもあれって、正直科学的根拠とか何にもないんですよ」
この先どれだけ医学が進歩したとしても、彼の未来察知能力の実態がわかる日は来ないだろう。来たとしても、能力の持ち主が奥田幸人のみということに変わりはないだろう。今日もわからずじまい……帰ろうか——
大河原病院 廊下 9:46
コツ……コツ……
「……本当俺に何が起きているんだよ……?」
今話題のAIチャットアプリに聞いてみてもわからない。医学で説明できないのなら、未来察知能力は完全にスピリチュアルの分類に当てはまるだろう。そんなことを考えながら歩いていると——
ドサッ……ビチャ……
「あっつ……!」
「痛ったい……!ってあっ……!?ごめんなさい!?ワイシャツが……」
突然早歩きしていた女性がぶつかってきた。女性が持っていた紙カップのコーヒーが彼のワイシャツに溢れる。
「どこに目つけてんだ……」
彼はそのまま立ち去る。すると——
「ちょっと待ってください……!」
「何だよ……?」
「いや……ワイシャツ汚しちゃったので……クリーニングとか……」
「洗濯すれば落ちる」
「いやそういうわけにはいきません……!」
「何だもう……いい加減にしろ!」
ビクッ……
「グスン……怒らなくてもいいじゃないですか……?」
しまった。女性相手に怒鳴ってしまうとは……
「ごめん……言いすぎたよ……コーヒー溢れたからさ、代わりに何か買ってくるよ。何がいい?」
「えっ……?」
「俺が悪かった……コーヒー買ってこれで終わりだ……何がいい?」
「カフェラテ……」
「わかった……」
彼はお詫びとしてカフェラテを購入した。ワイシャツのことは洗濯機に入れれば綺麗になる。
「ほら……」
「ありがとうございます……」
今日は非番だからこのまま家に帰って昼間から酒を飲もうと考えていたとき——
「あの……!」
「何だ……まだ何か言うのか?」
「お名前……何て言うんですか?私は成瀬陽菜です……」
「奥田だ……奥田幸人」
「ゆきひとさん?」
「そうだ。じゃあな……」
成瀬陽菜……心の中で思ったのは綺麗な女性だった。今まで恋愛経験のない彼は、少しばかりときめいていた。また会えるときが来るかな?自然と陽菜の名前をメモに書いていた。
2024年8月8日。
港区のスーパー『八本』 11:25
夏になるとあまり買いだめはできない。そもそもレトルトは使わないが、調味料は要注意。今日は必要最低限の範囲で買おう。今日の夕飯は山賊焼き。ニンニク醤油に漬け込んだ鶏むね肉を豪快に揚げる信州名物の料理。鶏むね肉はどこだ?
「あった……ラスイチ……」
彼が残り一つの鶏むね肉を買おうかと手を伸ばした瞬間——
ふわっ……
同じタイミングで鶏むね肉を掴んだもう一つの手。この肉は自分のものだと思いたいところだが——
「あらごめんなさい……この鶏肉は……ってあなたこの前の……ええっと……!」
「奥田幸人だ。あんたは成瀬陽菜さんだろ?」
「幸人さんだ……!この前はありがとうございました!」
未来察知はいざというときしか使わないため、陽菜の名前と顔はメモを見なくても覚えていた。しかし女性と会話をすることはこんなにも緊張するのか?当時26歳ながら初心な男だ。自然と彼の口が動く——
「ああ……君も鶏肉目当てなんだな?これ譲るよ……」
「いやいやそんな!今日使う予定ではなかったので」
「いいのか?じゃあこれは俺の……」
大の大人が一人で買いものをしている。彼の持つカートには肉に魚、野菜が多く入っている。
「一人暮らしなんですか?」
「ああ。まあね……」
やっぱり綺麗な女性だな……この再会できたチャンスを逃してしまったら次はないのかもしれない。
「陽菜さん……!」
「えっ……?」
「あの……今度よかったら、俺とメシ行かないか?」
「幸人さんとごはん?」
「うん……!」
こんなに照れたのは初めてだ。彼は母を失ってから女性と話すことを避けていた。
「いいですよ!」
「いいのか……?」
「あれなら今日でもいいですよ!」
「きょ……今日……!?(言った当日にメシデート……!陽菜さんって積極的な人だったのか……!?)」
「都合悪いですか?」
「いやそんなことない……!行こう……」
「……?」
あまりの照れた表情に陽菜は不思議そうに首を傾げる。恋愛経験がない、もしくは少ないことを察しているのだろう。
「俺……すぐ会計済ませてきちゃうわ!」
彼は小走りでカートを押してレジへ向かい、そのまま会計を済ませた。それに続いて彼女も会計を済ませると——
「私いつも歩きなんですよ。荷物どうしよっかな?」
「俺の車に載せておくといいよ!」
「いいんですか?」
「あと乗ってって!食べ終わったら家まで送るからさ!」
彼の自家用車はホンダのN-BOX。後部座席に買った食材を置き、彼の運転で近場のファミレスへ行った。病院で初めて出会ったのが始まりとなり、こうして食事へ行ったことが奥田幸人と成瀬陽菜の愛を育むきっかけとなった。
2025年9月18日。あれから2人は1年の交際を経てデートを重ね、遂に結婚した。
幸人の妻になった奥田陽菜だが、お互い夫婦生活に悩んでいた。仲が悪いなど単純な理由ではなく、それぞれの生き方にジレンマが生じている。たとえば彼の場合なら——
奥田宅 17:02
トントントン……
仕事が休みの日は彼がごはんを作ることが多い。家事は分担しているが、この日は彼担当。
バタンッ……
「ただいま……」
「おかえり……!?ちょっと陽菜!こっち来なさい……!」
陽菜が額に包帯を巻いて帰って来た。怪我をしているのは明白だった。彼は手を拭いてメモ帳を持ち——
「メモ帳なんて持たなくてもいいでしょ……?」
「いいから話しなさい……!何があったんだ?」
話を聞いてみると、帰宅途中にながらスマホしていた自転車とぶつかってしまい、額に怪我をしてしまったという。彼女の悩みとは、自分のことを大切にして気遣ってくれるのは大変嬉しいことだが、何でもメモをして記録しすぎること。まるで日記にされているようで嫌だった。当然彼女は、未来察知を使うと記憶を失うなんて知るはずもない。
「ちょっとどこ行くのよ!?」
「陽菜を怪我させたんだ……一発やってやらないと気が済まない……」
「ちょっとやめて……!?」
彼女は必死に抑えて落ち着かせようとする。すると——
「じゃあ私が怪我したことを忘れて!」
彼女はメモ帳を奪い取ると、怪我した原因と内容が書かれている箇所を黒く塗り潰した。
「おい何すんだよ……!?」
「こんなの覚えてたってしょうがないでしょ……!?」
「やめろ……それを返せ!」
優しく話を聞いたつもりが喧嘩に発展してしまう。2人がメモ帳を奪い合っていると——
「やめろっ……!離せ!」
ドサッ……!
「キャ……!?」
「あっ……」
ドスン……!
「痛ったぁい……!あなた最低よ……!」
何ということだ……軽く押した程度が、勢い良く尻もちをついてしまった。
「陽菜……ごめん……」
ギロッ……
初めて睨まれた彼は言葉を失う。
ボコボコ……ブワッ……!
冷たい雰囲気を破るように、熱い豚汁が吹き溢れる。
「ごめん……今日は陽菜の好きな豚汁と親子丼だよ……食べようよ?」
「……親子丼?」
「そう……親子丼」
「……今日はそれ食べる……」
「よかった……」
「けど勘違いしないで……許したわけじゃないから……」
親子丼と豚汁が今日の夕飯であると知った陽菜は、少しだけ機嫌を良くして上着を脱いだ。だがやはり、彼女にとって何でもメモされることはストレスだ。日常生活で起きる範囲、たとえば買いものに行った場所や食事をした飲食店などの情報はメモしないが、旅行へ行った思い出は写真よりもメモに頼る。どうしても思い出を共有した気持ちになれなかった。
「よしお待たせ……じゃあいただきます……」
「いただきます……」
不器用でも優しい。陽菜はそんな幸人を心から愛していた。
2026年12月28日。
奥田宅 19:21
「ただいま……?どうしたんだ陽菜?」
家に帰ると、陽菜が立ったままリビングで出迎えていた。それもかなり険しい表情で。
「どうしたんだよ……そんな怖い顔して……?」
彼は上着を脱いで冷蔵庫を開けてみると——
「……!?おいちょっと……?昨日俺が買っておいた酒が全部ない!陽菜、何か知らないか?」
「あのさ……私の顔見て真っ先にお酒のこと聞くの?何で私が怒っているかわからないの……?お酒ならここよ」
台所には缶ビールや缶チューハイ。買い込んだお酒が全部捨てられ、空き缶が逆さになっている状態で置かれていた。
「お前何もったいねえことしてんだよ……!?」
ガシャーン……!
彼女は空き缶を彼に投げつけた!
「……!?」
「もう限界なのよ……!あなたはいっつも私に頼るどころか、メモに頼る……!それで何かあるとお酒に逃げる……!あなたにとって私は何よ!?」
「妻だよ……!それより何でそんなに怒ってんだよ……!?」
「今言ったじゃない……?それがわかんない時点でもうアウトなのよ……」
彼女の心は不満感とやるせなさで既に限界だった。そして、記入済みの離婚届を冷たく差し出した。
「もう無理よ……離婚して……!」
「ちょっと待ってくれって……!」
どれだけ引き止めても、彼女は耳を貸してくれなかった。俺はここまで彼女に嫌な想いをさせてしまったのか……?彼女の言った通り、彼は何かあるたびにメモ帳に書き記し、彼女を信じる前にメモを見て確認することを繰り返していた。彼女からすれば、自分を信用していないことと同じ。妻ではなく『記録係』に見られているようだった。
「さよなら……荷物は私の両親と後日取りに行くから……」
「おい……そんな……!?待ってくれよ陽菜……!?」
結局2人は、結婚からわずか1年3か月で離婚することになった。陽菜は旧姓の『成瀬』に戻し、幸人は母と一緒に住んでいた家で再び一人になってしまった。言うまでもなく、離婚後の彼は飲酒量がより増えてしまい、寝坊による遅刻を繰り返してしまう。それでも、刑事として優秀な彼を切り捨てることはできなかったようだ。
2027年12月24日。
松之原タワー 39階 大浴場エリア 22:45
「ごめんね……私ずっとあなたのこと誤解してた……こんなに、辛かったなんて……」
陽菜は松之原タワーで起きた内容と、救出した人物名が書かれたメモを見ている。そしてようやく理解した。奥田幸人は、未来を見る代償に記憶を失っていたことを……本当は自分のことを、忘れたくないからメモを取っていたと。
「幸人……本当にごめんなさい……ごめんなさい……!」
「何で君が謝るんだ……?原因を作ったのは俺なんだ……俺が全部隠していたから……」
どれほどの時間、こうして過去を思い出しながら話していたのだろうか?けれど、クリスマスを迎えたらどんな記憶を失うかわからない。だからこそ愛を語り合いたかった。すると——
「幸人……勝手なことなのはわかっているけど、一つだけお願いがあるの……」
「何だ?君のお願いなら何でも聞いてあげるよ……」
「もう一度……恋人からでも、あなたとやり直したい……」
突然のお願い。お互いに愛しているのなら、答えはもう決まっている。
「当たり前じゃないか……またやり直そう……俺でよければ……」
「幸人……!」
このまま何時間でも抱いていたい。陽菜がいるならビルに潰されてもいい……極限状態でも、そう思うくらい最高な気持ちだった。
ゴゴゴゴォ……!ドガァァン……!
「……!陽菜……俺は絶対……君のことを助ける!俺、やっぱり陽菜のこと……超絶……ハハッ……愛してる!」
「幸人……許してくれるの……?」
「許すかどうかじゃなくて、俺は君のことを愛してる……それで君は?」
「愛してる……」
「大事なのはそれだけだろ?俺はこれからも君を守る……」
ガシャ……ガシャ……
遠くから重い足音が聞こえてきた。2人の姿を静かに見守る男は——
「幸人……会えたんだな……」
屋上で仲間たちを逃がし終えた後の将佑だ。すると——
「将佑……?」
「あなたは……?」
「ああ……悪かったな……!俺邪魔だったか?」
「いいんだ……将佑がいてくれて助かるよ……」
「将佑さん……?」
すると幸人は陽菜の肩を支えながら立ち上がる。
「将佑がいてくれなきゃ、俺たちは助からないもんな……」
「何だ?あれほど強がっていた幸人らしくないな?フンッ……まあいいさ。俺も親友と大切な人を見捨てられないしな……」
「親友か……俺たち」
「そうだ……俺たちは親友だろ?」
「フン……そうだな」
ゴゴゴゴォ……!
「屋上にヘリが待機している!屋上を目指すぞ!」
「わかった!陽菜、立てそうか?」
「うん……!」
「さあ行くぞ……!」
松之原タワー 49階 展望ラウンジ 23:00
キュウィィン……
「準備はいいか将佑……?5分で片づけようぜ……」
「ラクショー……!」
陽菜や他の生存者は英介に任せてある。今は残っている10機のドローンをぶっ潰す。将佑は事前に持っていたホースをドローンに向けると——
シャー……!
放出された水は4機のドローンを破壊する。やがて残ったドローンは幸人を撃とうと銃口を向ける。
「幸人!」
将佑はホースを投げる。そして——!
「ハァ……!」
バーン……!
ホースを蹴り飛ばして3機のドローンに命中させ破壊!残る3機も続いて銃弾を放つが——
メキメキ……ドガァァン……!
残ったドローンは崩れた天井に潰された。
「急ぐぞ!」
「ああ!」
これでもう邪魔する小賢しいドローンはいなくなった。あとは間藤を追い詰めて、屋上で待機しているヘリで脱出するのみ。しかし……
「ウゥ……!?」
「大丈夫か!?」
「何とかな……」
24時を迎える前に皆を助けてあげたい。助ける前に記憶をなくすのは嫌だ……!そのまま2人の英雄は屋上へと駆け上がる。
松之原タワー 屋上 ヘリポート 23:12
2人が屋上へ辿り着いたときに広がっていたのは、既に視界が傾き始めた光景だった。誰が見ても横倒しに崩れるのは明白だった。目の前には英介と真也が傷だらけで倒れている。そして——
「間藤!……!?」
「幸人……!助けて……!」
「どこまでもしつこい野郎だな!その消防の野郎も……!」
奴は陽菜を人質に取っている!それに手元には爆弾のスイッチ。タワー崩壊まで時間がない中、何も知らない救助ヘリが音を立てて現れる。
ブルルルル……!
ヘリが近づき、間藤が持つ爆弾のスイッチが押されそうになるこの状況。
「将佑……俺が合図したら陽菜のところまで走ってくれ……」
「……?幸人はどうするんだ……!?ここに留まっていれば焼かれちまうぞ!?」
「大丈夫だ……これが俺の、最後のときだ……」
「幸人……」
スッ……
彼はそっと耳に手を当てる……未来はどれくらい見ればいい?俺の限界は一体どれくらいだ!?見る未来によって全てが変わる。未来察知能力のリミッターは既に限界を突破している。母の幻覚すら介入できない状態だ。
『やめて幸人……!もう無理よ……!』
いくら叫んでも、息子の心には届かない。それでも、彼が見る未来によって迎える未来が決まってしまう。破滅の未来か、それとも救済の未来か——?そして……
「未来察知……開始する……!」
彼は一体……どの運命を辿るのか?
・12月24日 23:20 タワー崩壊まで40分……
・タワーにいる残留者は6人……